2005年04月18日

『スナイパー 狙撃』(1996)

監督ラッセル・マルケイ、出演ドルフ・ラングレン/ジーナ・ベルマンほか。原題"Silent Trigger"。
ドルフ・ラングレンは謎の組織(説明なし)に属する暗殺専門の狙撃手。この組織では監視役と二人組で行動することになっているらしく、その監視役がジーナ・ぺルマン。かつて某国(説明なし。東欧?)でいっしょに行動したことがある二人は、新しい任務で再会。建設中のタワービルの最上階に潜入して、警備員と闘ったりしながら暗殺決行の夜明けを待つ。
ようするに低予算アクション映画なわけですが、設定にいっさいの説明がないのは緊張感を増すためというより、考えるのがめんどくさかったという感じで、安っぽい雰囲気に貢献しているところが以前取り上げた『ボディ・ハンティング』(「チェーンヒート3」ね)を思わせるなあと思ったら、こちらもあちらと同じカナダ映画(ただしイギリスとの合作、監督は『ハイランダー』の人)でした。クローネンバーグや『CUBE』もそうだったけど、説明なしの不気味な組織権力を持ち出してくるのはカナダB級映画の定番みたいなもんなんでしょうか? 日本でいうとヤクザ(という設定にしておけばどんなシーンを展開させてもいいという万能システム)みたいなもん?
あと、この映画は低予算だから爆破シーン映像なども合成なんですが、建設中のビル内の映像はもうゲーム画像ですね。バイオハザードとかの荒廃した施設内の画像、あれと同じです。エレベータやトイレなんかはもうそっくりで、ゾンビが隠れてるんじゃないかと思わずコントローラを握りそうになりました。それで思ったのは、(この映画がゲームに似ててしょぼいということではなくて)ゲームのCG映像がこのての低予算B級映画をお手本にしてるんだってことです。ゲームの宣伝文句でよくいう「まるで映画のような映像」の「映画」とは、実にB級映画のことだったんですね。映画は予算がなくて仕方がない場合もあるけど、ゲームCGをわざわざ予算のない映画に似せて作る必要はないという気もしますが。
でまあ、安っぽいのは特にかまわないのだけど、ドルフ・ラングレンがマッチョに敵をボコりまくってくれるのかと思ったら、やることが何だかいちいちもたついてて、すかっとしない。ただの警備員相手にむちゃくちゃ手こずってるし、暗殺の前準備がやけに手順が悪くてもたもたしている。たいした用もないのにエレベータの上なんかにいるから、普通にエレベータが動き出しただけで絶体絶命の危機に陥ったりするのだ(ぶっちゃけていえば、暗殺決行がせまる映画の後半までやることがないからそうやって時間をかせいでいるのである)。さすがにそれだけでは終盤までの間がもたないので、回想的に某国での活躍シーンが挿入される。ところがそちらでは武装兵士集団をあっというまに片付けたりしているから、現在のシーンとの対比がちぐはぐになってしまう。終盤には完全武装の特殊部隊みたいなのが出てきて闘うのだが、そういう連中が相手だとやっぱり簡単にやっつけちゃうんですね。大した武器もないビルの警備員一人ろくに倒せなかった男が。スライム1匹倒せないが、キラーマシンの群れなら倒せる、みたいな。変なやつである。
これと同じことをやってた小説にグレン・ミードの『雪の狼』というのがありまして、凄腕の暗殺者ということになっている主人公の仕事を紹介するエピソードが前半に挿入されるんですが、そこでの標的(作品内では雑魚クラス)を片付けるのに、やけに手こずる。簡単な仕事がすんなり行かないのはたぶんリアリティ演出のつもりなんだろうけど、そんなとこでヘマして必死になっててどこが凄腕だよ! と思っていたら、小説の後半ではとうてい不可能としか思えない難関をあっさり次々と突破していくのだ。苦労の見せどころが完全に逆である(ゲーム評用語でいえば「戦闘バランスが悪い」)。なんかもう根本的に間違っているとしかいいようがないんですが、そこまで下手くそな小説だと、なにやら超大作に憧れて頑張って作った低予算映画を見ているようで嫌いじゃありません。賞(日本冒険小説協会大賞)をあげる人たちもそうとう変だけど。
そんなわけで、変な味を狙っているのでないんであれば、基本的な戦闘バランスに気をつけましょうという話でした(?)。

2005年03月25日

『インソムニア』(2002)

監督クリストファー・ノーラン、出演アル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズ、ヒラリー・スワンク、モーラ・ティアニーほか。
アラスカの白夜の景色と、不眠症。ストーリーは、まあべつに。見ながら本当に不眠症みたいな気分になった(というか眠たくなった……退屈で眠たくなったってことではなく、気分が感染したってことですけど)。
後ろ暗いところがある刑事アル・パチーノと犯人ロビン・ウィリアムズの関係シチュエーションから『サイレント・パートナー』(エリオット・グールド&クリストファー・プラマー)という映画を思い出しましたが、あっちのほうが関係描写はずっと締まってた気がする。よくおぼえていないので断言はできませんが。脅かされるほう(パチーノ)と脅かすほう(ウィリアムズ)の俳優が逆だったらもっと成立したかな? んなこたないか。どっちにしろ見どころは最初に書いたように、景色と気分に尽きる。主人公たちを運ぶ小型飛行機を空中撮影で追っていく冒頭シーンもいい(『シャイニング』というより『荒鷲の要塞』を思い出してしまったが)。見どころがあるってのはいいことだ。
モーラ・ティアニー(アル・パチーノが泊まってる宿の女主人)って何で見たんだっけと思ったら、ここで取り上げたことがある『人質』という映画の女刑事でした。あと『ライアーライアー』のジム・キャリーの奥さんとか。

これ、ノルウェイ映画のリメイクなんですけど、調べてみたら『サイレント・パートナー』の原作はアンダース・ボデルソンというデンマークの人でした。北欧ではこういう脅迫関係というか心理的共犯みたいなシチュエーションのスリラーが好まれるんですかね。

2005年03月14日

『あずみ』(2003)

監督/北村龍平、出演/上戸彩、原田芳雄、竹中直人、北村一輝、オダギリジョーほか。
テレビ用編集版。
これ、なかなか面白かったです。拾いものでした(有名な話題作だから拾いものというのは変かもしれないけど、こういう話題作はたいていつまらないというのが相場なので)。
見る前には、アイドル主演の時代劇ってつまんなそうだからせめてマカロニ・ウェスタンみたいだったらいいなあと思っていたところ、前半、必要もないところでワイヤーアクションを使ったり、香港映画の劣化コピーみたいな早回しアクションをやったりしてるあたりでは、まだ嫌な気分が(こちらに)漂っていたものの、後半になるとただただチャンバラで斬りまくり、人が死にまくるという楽しい展開。スプラッタ映画みたいに血がどばどば出るし、予想以上に楽しみました。
仲間がころころ死んでいったりとか(山田風太郎?)、敵の小ボス中ボス(松本実、オダギリジョー、遠藤憲一)が変人ばかりとか、上戸彩らの刺客を育てた原田芳雄のキャラクターにまったく説得力がないところとか、ここが見せ場ですよとクラマックスシーンのわかりやすい見せ方とか、潔く割り切った設定と演出になっていて気持ちがよい。終盤のシーンではワイヤーアクションもちゃんと的確な使い方がしてありました。小ボス中ボスたちのブチキレ具合に比べて、大ボスクラスの竹中直人&北村一輝の黒社会コンビはちょっとトーンが違いましたが、まあそれは現場と上層部の違いということにしておこう。クライマックスの上戸彩とオダギリジョーの太刀回りは、本人たちに素でやらせてもスピード感や迫力は出るわけがないから、カメラや編集のテクニックでごまかすというのは正しい選択ではあるまいか。どっちみち現実にありえないことをやるわけだし。しいていうなら、もっと派手に生首やら手足やら転がりまくってほしかったんですが、テレビ放映用にカットされてんのかな?
上戸彩と原田芳雄の関係はちょうど『ニキータ』のアンヌ・パリローとチェッキー・カリョの関係にあたるわけですが、リュック・ベッソンが『ニキータ』や『レオン』で取り入れているお涙頂戴用のメロドラマティックな(劇画的な、といってもいいですが)辛気臭いシーンは、比較的あっさり片付けてある。マンガが原作だからそういう要素がないわけではなく、たとえば主人公たちが無邪気に浮かれていると必ず次に悪いことが起きるというお約束的な段取りの安いドラマ作りにはなっているんですが、「どうせこいつが死ぬのは観客にも読めるんだから、無駄にひっぱらずにさっさと死なせちゃおう」という感じで、くどさを排してあります。いや待てよ、それもテレビ用の短縮が功を奏して無駄なシーンがなくなってるってことなのかな? 某推理小説作品にそういう話がありましたが。どうなんだろう。いつかノーカット版も見ておかねばなるまい。
上戸彩は悪くなかったですよ。そういえば金八先生も見たことないんでドラマや映画に出ているところは見たことなかったかもしれない。小山ゆうのマンガのキャラクターに上戸彩を起用するのはルックス的に誰でも思いつきそうな発想に思えるんですが、どうなんでしょう。まあ『俺は直角』なんかの絵柄しか知らないので、マンガの『あずみ』の絵と似ているかどうかはわからないんですが。

2005年03月02日

『完全犯罪』(1993)

監督/脚本ウィリアム・カラン、出演ジョン・リスゴー、エリック・ロバーツ、メーチェン・エイミックほか。
原題は"Love Cheat & Steal"。出演クレジットの2番目にエリック・ロバーツの名前があるというだけでどういう映画か予想できる(つまり野暮ったいB級スリラー/サスペンス)が、タイトルバックが妙におしゃれっぽい感じで「ん?」と思う。でもやっぱり最初の予想で合ってて、タイトルバックの映像は刑務所の監房でエリック・ロバーツが見ている夢のイメージシーンでした(寅さんかよ)。
そのエリック・ロバーツは、自分を裏切って刑務所送りにしたかつての妻メーチェン・エイミックが銀行家ジョン・リスゴーと幸福な結婚をしたことを新聞記事で知り、復讐のため金庫破り専門の相棒と2人で脱獄する。で、メーチェン・エイミックの兄だといつわって銀行家夫妻の前にあらわれ、かつての妻に銀行破りの手引きをするよう強要する。いっぽう銀行家リスゴーは自分の銀行で不正な現金操作が行われていることを発見。裏では犯罪組織がからんでいるらしい。さて、彼らの顛末は? という話。
なんだか昔のフランスの小品サスペンス小説といった筋書きで、お尻のほうに2、3のツイストが重ねてあります。どうにでも作れるようなひねりですけどね。
いったいこういう安物映画とヒッチコックでは何が違うのかと考えながらずっと見てたんですが、ようするにヒッチコックにあるテクニックとセンスのすべてが欠如しており、かわりに誰も期待してないようなどうでもいいエロシーンが随所に差し挟まれていて、最後のほうでやっと実行される銀行破りまでは場つなぎみたいなシーンばかりで、ひたすら退屈。ラストのどんでん返しも、ちょっとミステリーに馴れた人ならだいたい予測がつくようなものだが、まあそれがなければ何も見るところがなくなってしまうわけだし、ないよりはマシか。
ヒロインのメーチェン・エイミックは『スティーブン・キング スリープウォーカーズ』でコントゥアーズの"Do You Love Me"を聴きながら踊りまくってたお姉ちゃん。エリック・ロバーツはいつも通り下品なやくざ者。ジョン・リスゴーはこの映画と同じ年に『クリフハンガー』で悪者のボスをやってますね。えらいスケール違うな。

2005年01月13日

『ハリケーン・コースト』(2002)

監督テリー・カニンガム、出演ニック・コーニッシュ/バイ・リン/エイドリアン・ポール/クーリオほか。
邦題からすると災害パニック映画みたいだが、実はハッカー&バーチャル・リアリティを題材にした映画。人工的にハリケーンを発生させる新装置を制御するコンピュータが暴走し、アメリカ本土に巨大ハリケーンが迫る。天才ハッカー青年の主人公たちはそれを食い止めることができるか、という話。原題は"VIRTUAL STORM"。
ジャンルとしては『マトリックス』(1999)などと同じだが、どっちかというとそのルーツである『トロン』(1982)や、あるいは『ウォー・ゲーム』(1983)のような、懐かしのコンピュータ映画を思わせる味わいがある。
尾之上浩司先生は名著『ホラー・ガイドブック』(角川ホラー文庫)のなかで、バーチャルを題材にした映画、すなわちウィリアム・ギブスン原作の『JM』(1994)やブレット・レナード監督作品(『バーチャル・ウォーズ』『ハイダウェイ』『バーチュオシティ』)などは「アイデアだけが上すべりしている駄作・凡作」と書いておられますが、映画の出来はともかくとして、わたくしはけっこう好きなんですねえ(『JM』はドルフ・ラングレンの代表作だと思っております)。バーチャル・リアリティといえば何かと「虚実」とか「アイデンティティ」とやらいうテーマと結びつけて語られがちですが、わたくしが興味あるのはそういうことではなくて、それらの映画で描かれるバーチャル体験の感じが、明晰夢や体外離脱(幽体離脱ともいいますが実質的に明晰夢と同じもの)の感じにそっくりだからなんですね。明晰夢体験のニュアンスに最も近い表現を行おうとしているのがこうしたジャンルの映画なわけです。だから本当はコンピュータとかテクノロジーといった「手段」はどうでもいいんです。そんなのはただの口実でOK。普通の夢だったらルイス・ブニュエルの映画などがうまくニュアンスを出していますが、明晰夢のニュアンス表現となると、今のところバーチャル・リアリティを扱った映画ぐらいしか見当たらない。ゆえに珍重しておるわけです。
逆に、この『ハリケーン・コースト』にもちょっとだけそういう場面があるけど、「虚」と「実」の区別がわからなくなる(現実世界に戻ったと思ったら実はまだバーチャル空間の中だった)といった表現は、あんまり面白いと思わない。かつて岡嶋二人の小説『クラインの壷』なんかが「解決を宙吊りにする」みたいな見当違いの批評用語で持ち上げられたりしていたが、なんか違うだろ、と思う(『クラインの壷』はNHKでジュニアドラマ化されましたが、まさにそれにふさわしい作品だったと思います)。バーチャル空間や明晰夢が面白いのは、文字通りすべてが明晰な体験だからなのであって、「虚実の区別がつかない」というような不明晰さに基づくからではないんです。ここ重要。

なお、いうまでもないですが『ハリケーン・コースト』は日本では劇場公開を見送られたレベルの低予算映画で、上のことはそれを大前提としてすべて書いておりますので、面白そうな映画にみえたとしてもあんまり過度な期待はなさらないように。

2004年12月31日

『青いドレスの女』(1995)

監督カール・フランクリン、出演デンゼル・ワシントン/トム・サイズモア/ジェニファー・ビールス/ドン・チードルほか。
 久々に見るハードボイルド探偵もの。ウォルター・モズリイの原作シリーズは読んでないんだけれども、各作品のタイトルに色の名がついているようで、これは第1作『ブルー・ドレスの女』の映画化。主人公のイージーは失業中でまだ私立探偵を開業していない(今回の一件がきっかけで探偵業になる)。
 主演のデンゼル・ワシントンは優等生ぽい感じなのでこのての探偵にはどうかという気もするが、黒人差別の強い時代背景のなかでいかに人並みのまともな暮しを手に入れるかってのがどうやらテーマになっているらしいので、一概にミスキャストとはいえないのかもしれない。映画は昨今の私立探偵小説のパターンや雰囲気を非常に忠実に再現しているという印象。そのぶん、映画としてややパンチに欠ける感もある。小説的な場面展開をなぞっているだけで、映画的に際立った部分がない。キャラクターとしては、すぐ人を殺す癖がある相棒のマウス(ドン・チードル)が面白かった。謎の女に扮するジェニファー・ビールスも案外悪くない。
 時代設定は1948年で、原作シリーズはこの後、赤狩りやケネディ暗殺の時代へと年代記的に展開していく模様。つまりこの十年ばかり何かとはやっている時代回顧(「20世紀とはどういう時代だったか」とかいうやつ)にのっかった作品のひとつってことらしい。まあハードボイルド=ジャズ、ブルースというお決まりなので、時代設定がそのへんになっているのはムードに説得力をもたせる意味においてはいけないわけではないが、ゲキドーの20世紀を振り返るというテーマ設定はいいかげん安易でうんざりする。時代をたかだか数個のキーワードやテーマで語ろうとするのは思考停止以外の何ものでもなく、それに比べれば正々堂々としたノスタルジーのほうがなんぼかマシである。この映画はノスタルジーにおいてはまあ普通、時代テーマ、社会テーマにおいては屁ってところ。黒人差別を図式的に描くために時代設定を過去にするというのは噴飯ものの発想である。この映画を見て感じた一番の不満はそこ。

2004年12月28日

M-1グランプリ2004

前後しますがM-1グランプリ2004を見た感想。
千鳥麒麟はNHK新人演芸大賞のときと同じネタ。千鳥のは田舎のヤンキーもどき風の柄に合わない「中世ヨーロッパ」のいいかげんなネタが可笑しかったが、二回見ると新鮮味がなくなる。どっちみち賞という柄ではないから初っ端に出てきてどんどん順位が落ちていく前回と同じパターンで笑いが取れておいしかったが、賞とは関係なくもっとネタが見たかった。
ポイズンガールバンドはオンエアバトルで見るときよりおもしろかった。
ベスト3に残った南海キャンディーズはなんだかイカ天とかその時代のそのあたりのにおいがする男女コンビだなあ。基本形は猿回しだが、猿(女)を回すほう(男)のツッコミが、やりすぎない程度に絶妙なところで抑えをきかせ実に的確なのがよかった。こういう丁寧語の毒舌風ツッコミは、ともすると言い回しに懲りすぎて失敗しそうな雰囲気があるんだが(たとえば、あばれヌンチャクなんかはかなり危うい感じ。丁寧語じゃないけど、言い回しに懲りすぎるツッコミの最悪例は漫才やる時のくりぃむしちゅー上田)、おそらく過去の失敗をそうとう反省して改善した結果ではないかと想像する。過去は知らないから勝手な想像ですが。
優勝したアンタッチャブルは柴田の巻き舌ツッコミが前から気に入っている。横山やすしを髣髴させるチンピラぶりがいい。

賞なんかべつに誰が取ってもいいんだが、NHKと違い、さすが民放だけあって番組の前置きが長い。いいから早くネタ見せろ、と、ちょっといらいらした。

2004年12月22日

タイミングを逸しつつNHK新人演芸大賞

ビデオにとっておいたNHK新人演芸大賞を一週間遅れで見た。
演芸部門(漫才、コント)でおもしろかったのはアンガールズと千鳥(好みでは千鳥)。大賞受賞の麒麟はいつも通り、まあまあのおもしろさ。審査員の顔ぶれや年齢層からいえば妥当な受賞。この大賞をとったからといって将来性の保証にも何にもならないのは、かつて無難さや媚びだけで受賞したエレキコミックやCOWCOWらが全然伸びない事実によっても証明されているが、今回の麒麟はやはり無難な選択ではあるが将来性はあるほうだと思う。他の3組(東京03、トータルテンボス、青空)は力量不足というほかない。東京03はアルファルファだったときのほうがまだよかったんじゃないか。加入した角田(元プラスドライバー)がよくないわけではないのだが、3人コントにベタ以上への飛躍の兆しが見られない。
落語部門は省略。
キャラ的に一番おもしろかったのは審査員の喜味こいし師匠。落語部門の感想をきかれ「古典と、新作ですか、両方きかせていただいて、どっちがいいのか、わたしにはわかりません」。審査員なのに最初から最後まで「わかりません」の一辺倒で通した。すごい。

2004年12月15日

『WASABI』(2001)

監督ジェラール・クラウジック、制作・脚本リュック・ベッソン、出演ジャン・レノ/広末涼子/ミシェル・ミューラー/キャロル・ブーケほか。
 同じリュック・ベッソン制作のアクション映画『キス・オブ・ザ・ドラゴン』(2001)や『トランスポーター』(2002)の路線。凄腕のヒーロー、おもしろくないユーモア、歪んだ東洋趣味、底味のなさ、が共通点。深いことは追求せず話がつったかつったか進んでいくので暇潰しにはいい。上記2本よりはやや劣る感じだが、監督も同じ『TAXi2』(2000)よりは確実に楽しめる。
 どうもリュック・ベッソンは東洋古来の伝統美と最先端テクノが混在した国=日本というイメージに固執したいようだ。『フィフス・エレメント』(1997)にもエアカーのデリバリー中華屋台が出てきたが、若いころによっぽど『ブレードランナー』にでも夢中になったんだろうか。弁護士事務所のデスクの後ろが障子張りだったりするのはわざとやってるとしか思えない。日本でそんな事務所を設計するのは特殊な趣味の持ち主だけというのはわかっているはずだから、実際の日本よりも自分の脳内にある日本の通俗イメージを優先させたいんだろう。それならそうと、こちらも割り切ってあげるしかない。よく『007は二度死ぬ』に正しい日本が描かれていないと怒ってみせるような人がいるが、そういう人は『ロシアより愛をこめて』に正しいソ連やトルコが描かれていたとでも思ってるんだろうか。石上三登志は『007は殺しの番号(ドクター・ノオ)』を初めて見たとき、火を噴くドラゴン戦車が出てくるシーンで「ああ、ちゃんとわかって作ってるんだな」と思ったという(ということを昔、各務三郎の文章で読んだ)。この『WASABI』はテレビ放映なので吹き替えだったが、日本に住む日本人に当たり前のようにフランス語を喋らせている点だけで、どういう映画なのかわかるはず。そこらの日本人はふつうフランス語を喋らないというまだるっこしい事実を捨てて、他のことを優先させる作りになっているわけである。ミッキーマウスが人間の言葉を喋るのと同じことである。
 ジャン・レノは刑事だが元情報部員なので凄腕という、例によって都合のいい設定。モーニング娘みたいな格好で登場する広末涼子は、テレビドラマ風の過剰演技がところどころ気になる点を除けば悪くない。鼻のでかさに何かと言及するのは日本ではダウンタウンぐらいしかやらないことなのでちょっと面白かった。吹き替え(坂本真綾)は本人がやってもさほど変わらないだろうし、日本語の発音自体は本人よりいいので、べつに気にならなかった。ジャン・レノの情報部時代の友人ミシェル・ミューラーは顔立ち、体型、表情の作り方、動き方、どこからどう見ても爆笑問題田中である。
 広末涼子はもっと発声と演技の基礎訓練を積めばいい個性派女優になれるのに。このままでは「元アイドルのテレビ女優」で終わってしまう。

2004年12月12日

『オルガミ 〜罠』(1997)

監督キム・ソンホン、出演ユン・ソジュン/チェ・ジウ/パク・ヨンウほか。
最初の5分でストーリーもテーマも作品水準も何もかもわかる。
何度早送りしようと思ったか知れないが(ビデオにとって見たので)、一応ちゃんと見ないとけなすこともできないと思い我慢して見た。といってもここでよく取り上げる出来のよくない映画と違って、もはやどの要素がどう悪いとか指摘するようなレベルの代物ではない。
ワイドショーの再現ドラマみたいな話を、ワイドショーの再現ドラマの演出水準とセンスで1時間40分の映画にする意味がわからない。
ちょっとカルチャーショックを受けた。

韓国映画はあまり見てなくて、日本で韓国映画が知られるきっかけになった『シュリ』(1999)を見たときは「ありゃ?」と思ったが、それはまあ前評判が高すぎたせいでもあって、何も考えずに見たら「こんなもんか」ぐらいの感想だったかもしれない。日本にも『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)みたいなのがあるからどっこいどっこいだ。それ以前に見た『接続 ザ・コンタクト』(1997)というのは、どっかできいたような内容の話だったが、そこそこ普通に見れる恋愛映画だった(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの"Pale Blue Eyes"を使っていたね)。
というわけで韓国映画の知識は乏しく、水準もよくわからないのだが、この『オルガミ』は韓国でも最底辺レベルの映画なのだと信じたい。まだ見てない映画のなかに傑作があるのに違いない……きっと………たぶん…………

2004年12月06日

『スパイダーマン』(2002) 『ザ・フライ』(1986)

先週のプレミアムステージ(フジ)でサム・ライミの『スパイダーマン』が地上波初放映されましたが、うちの地方ではその深夜、クローネンバーグの『ザ・フライ』も放映されました。
訂正
『スパイダーマン』の放映は日本テレビの金曜ロードショーでした。勘違い。金曜の放映をビデオにとって土曜に見たので、ついフジの映画枠だったかと錯覚してしまいました。昔みたいに水野晴郎がくっついてたら間違えにくいんですが。

この二つの映画はあまりにも有名だし無数の人々に語り尽くされていると思うので評価や感想は今さら書きませんが、考えてみりゃこの二つ、同じ話なんですね。狙った放映だったのかな(チャンネルも同じでした)
『ザ・フライ』にも蝿の遺伝子の力で超人的パワーを身につけるくだりがある。あそこで主人公が正義のために戦う決心をし、外見がファッショナブルだったら(これ大事)、そのままスパイダーマンみたいなヒーローになる。逆にいうとスパイダーマンがハエ男みたいに悲惨なことになっても不思議ではない。まあサム・ライミには『ダークマン』があって、顔が崩れたりするところはそっちのほうが『ザ・フライ』に近いかな。

2004年12月04日

『人質』(1999)

監督・脚本リチャード・シェパード、出演モーラ・ティアニー/エイドリアン・ブロディほか。
誘拐ものサスペンスで、いわゆるサイコ風の不気味な若い犯人が警察を翻弄する。その設定自体はまあいい。駄目なのは、警察をまぬけにすることで相対的に犯人を凄そうに見せかけようとしている点。犯罪者を何か精神的怪物のような存在に見せようとしているが、実は犯人が特別凄いのではなく相手をする警察のレベルが非現実的なまでに低いだけ。『セブン』もそうだったが、こういう安易な作りのサイコ・サスペンスが生み出されるようになった責任の大元は『羊たちの沈黙』にある。
この作品でもにやついた犯人の安い話術に、ヒロインの女刑事をはじめ警察勢がまんまとのってしまう展開になる。犯人が語るのは「善人たることをあきらめれば自由になれる」という誰もが十代のころに一度は思いつくであろう程度のやっすい「哲学」で、それをこのドラマは何か、おそるべき暗黒の思想のごとく見せようとしている。ようするに脚本家がその程度の「哲学」しか思いつけない人だってことだが、問題は大した「哲学」を思いつけないこと自体ではなく、思いついた「哲学」の扱い方である。どう見てもこれは凡庸な思想であり、凡庸な犯人なのだから、ドラマもその凡庸さを前提とした作りをしなくてはならない。そうすれば、材料は凡庸なものばかりであっても傑作サスペンスを作ることは不可能ではないはず。
そのへんの基本が抜けているから、いらいらするばかりでちっともはらはらできないサスペンス作品がいくつも生まれることになってしまう。
傑作でなくてもいいから最低限に楽しめるB級サスペンス/スリラーがそろそろ見たいところ。続きを読む

2004年11月22日

『ドグマ』(1999)

監督ケヴィン・スミス、出演ベン・アフレック/マット・デイモン/リンダ・フィオレンティーノ/アラン・リックマン/ジェイソン・リー/アラニス・モリセットほか。
地上に追放された天使バートルビーとロキ。彼らはある裏技を使って天国へ帰ろうとする。しかし彼らが天国に帰ると神の論理が矛盾を引き起こし、万物が消滅してしまう。なんとか二人の計画を阻止しようと行動するキリストの末裔とその仲間たち、というお話。カトリックのパロディといっても、間違ってもルイス・ブニュエルを期待してはいけない(誰もそんな期待はしないか)。
天使が人間たちを惨殺する場面があったり、キリストの使途が"fuck"を連発したりと、おそらくモンティ・パイソンみたいなのを目指したのだと思うが、せいいっぱい「過激なブラックコメディ」を作ろうとした結果がこの程度? という感じで、はからずも作り手の人のよさを証明してしまった形(人のよさってのは、お話の結末をああいうふうにしてるからとかいうことではなく、全体の隅々にまで滲み出てしまっているセンスのゆるさのことですよ)。むしろ、少し過激なところもあるアメリカン・ヒューマンコメディと思って見たほうが素直に楽しめるのかもしれない。
出来のよい作品だとはたぶん誰も思わないだろうし、単純にそれを理由に作品を否定する人もいるかもしれないが、そう悪い印象はもたなかった。そもそもこの企画で「成功作」を作るのは無理だろう。誰がやっても失敗作になるしかないような企画、アイデア。それでも、こういうものを作りたかったんだという気持ちはわかる。作りたかったから作った、その素朴さが伝わってくるから、たとえスベっていても見逃してあげようという気になる。世の中には許しがたいコメディというものも存在するが(『バッドボーイズ』とかね)、そういう媚びた嫌らしさはこの作品からは感じない。
なお、メタトロンとかアズラエルとかいう天使も出てくるからゲーム「女神転生」シリーズが好きな少年少女は別の意味で楽しめるかもね。

2004年11月21日

『犯罪心理捜査官2』(1998)

監督ハワード・マッケイン、出演ケリー・マクギリス/ブルース・ダーンほか。
似たようなまぎらわしいタイトルがいくつかビデオで出ているが、これは『犯罪心理捜査官』(1993)の正規の続篇。ただし前作は劇場用映画だったがこちらはTVムービー、キャラクター設定は同じだが出演キャストはがらりと入れ替わっている。
警察捜査に主眼を置いたサイコ・スリラーで、主人公が女性捜査官なのは『羊たちの沈黙』の二番煎じだから、と今さら指摘するのも恥ずかしいが、二番煎じだろうと何だろうと面白ければもちろんOK。「TVムービーにしてはけっこう面白いのではないか」と勝手に期待しつつ見たのだが……ありゃ?
冒頭の死体調査を除けば具体的な捜査活動がほとんど描かれない前半は、いったい何に興味をもって見ていけばよいのかわからない。州警察から派遣されたヒロインと地元刑事との確執があったり、犯人の異常者が新しい犠牲者を狙ったり、といったことがだらだら描かれ、肝心の捜査進行状況が具体的なものとして示されないので(壁に貼った証拠写真類を眺めたりする場面がぼんやり描かれるだけ)、犯罪捜査ドラマであれ、ヒロインの内面ドラマであれ、説得力がない。
後半にお話が収束していくわけだが、これなら1時間ものにぎゅっと凝縮したほうが面白いんじゃないの? という印象しか残らない。せめて、手がかりを追っていったけど無駄足だったという類の挿話でもいいから、何か具体的活動のプロセスが描かれていれば尺が持っただろうに。また、ヒロインのキャラクターにも自然と説得力が出ただろう。

パラノイアな異常者にこそふさわしいブルース・ダーンは、ヒロインに理解のある上司という何のひねりもない役どころで、これといった見せ場は何もない。ドナルド・サザーランド、ウィリアム・ディベイン、ジョン・ボイトといった70年代の異色俳優たちが年をとって90年代以降の映画ではどうも毒気が抜けてしまっているが、ブルース・ダーンも残念ながら例外ではない(逆によくなったのはトミー・リー・ジョーンズぐらいか)。本来、チンピラのくせにジョン・ウェインを背中から撃ってしまったり(『11人のカウボーイ』)、負け犬のくせに8万人殺しをたくらんだり(『ブラックサンデー』)するような「空気を読めない男」のリアルさを漂わせた俳優なのだが。吹き替えの声(千田光男)がおじいちゃんすぎるのもよくなかった。お馴染みだった山田康雄か、今クリント・イーストウッドをやっている野沢那智あたりなら多少イメージ違ったかも。白髪になっても決してルックスが温厚になったわけではないから、まだまだ不穏なブチキレ方できそうなんだがなあ。

2004年11月19日

『ネル』(1994)

監督マイケル・アプテッド、出演ジョディ・フォスター/リーアム・ニーソン/ナターシャ・リチャードソンほか。
これもメジャーなほうかな。あまり義務感で選択を縛るとやる気がなくなるので、書きたいものを適当に書いていこうと思います。
文明を知らずに森で育ったネルを人々は現代的生活に適応させようとするが、逆に周りの人々のほうがネルに癒されていく。パターンとしては『マイティ・ジョー』と同じ。
ちょうど現代文明生活に疲れたアメリカで「ネイティヴ」的生活への憧れなどがはやりだしたころに作られた「癒し系」映画……と書いてしまうと身も蓋もないが、拙速に事件や出来事をでっちあげてドラマチックな展開にするのでなく、比較的ゆったりと丁寧に描こうとしている点はよい。「ネル語」を解読していくあたりはちょっと推理小説的な面白さもある(ちょっとだけね)。とはいえ、「癒し系」「自然讃美」のイメージを越えるような発見もとりたててないし、風景の描き方もいかにも美しい風景を撮ってますという感じで、やはり発見がない。
ドラマとしては最後のほうで詰まって駆け足になってしまっている。結局は法廷での「感動的演説」でしめくくるというのは何だろうね。いわゆるヒューマンドラマというのにそういうパターン多いけど、アメリカ的自己主張のやり方ということか。『シンドラーのリスト』でリーアム・ニーソンが最後にやる安っぽい演説ほど陳腐ではないが、お芝居くさくなるので別のやり方を考えたほうがいい(ちなみに『ネル』はお芝居の戯曲が原作ではあるけれども)。
ネルのジョディ・フォスターは芸達者というイメージが世間的にあるので損。といって無名の女優や素人を使えばいいというものでもなく、ジョディ・フォスターなど知らないという人が先入観なしに見ればよいのだと思うが、ちょっと難しい。ネルを見守る医師のリーアム・ニーソンは珍しく違和感がなかった。『シンドラーのリスト』や『ダークマン』ではどうも気に入らなかったが。

『ワーキング・ガール』(1988)

監督マイク・ニコルズ、出演メラニー・グリフィス/シガニー・ウィーバー/ハリソン・フォードほか。
なるべくメジャーでなくいかにもなマニア好みでもない、なかなか語る人がいない(というか誰も語ろうと思わない)ような映画を取り上げようと心がけているんですが、これはかなりメジャーなはず。公開当時にそこそこ話題になったと思うけど見てませんでした。こういう女性映画というのかOLドラマはどうも興味がなく、お目当てのアクション映画やスリラー映画の併映にでもなっていないかぎり見る機会がない。テレビ放映されてたので、たまにはいいかと思って見ました。
タイトルとスタッフとキャストを見ればどんな映画かわかるし、中味を見てもまったく予想通りの映画なので、特に感想らしい感想はありません。軽快な女性サクセス・ストーリー、それ以上でも以下でもない感じ。このての映画は数多く見てないから他と比較してどれぐらいの出来かってのもわからない。しかし日本のOLものやサラリーマンもののTVドラマは30秒と正視できないわたくしがストレスなく見れたので、まあ気軽に楽しむにはいいんじゃないでしょうか。音楽(カーリー・サイモン)がいいのだそうだが当方の趣味にあらず。この映画には合ってるかもしれませんが。
メラニー・グリフィス、シガニー・ウィーバー、ハリソン・フォードといった俳優陣はべつに魅力は感じないものの、はじめからそういう期待は持っていないので特に注文をつけたいとは思わなかった(おすぎじゃないので)。といいつつ、シガニー・ウィーバーは『デーヴ』や『コピーキャット』でも都会風の「できる女」をやっていたけど、何か違う気がする。

2004年11月12日

『コンフェッション』(1998)

チャック・バリスのあれとは関係ありません。原題は"A Murder Of The Crows"。
監督・脚本ローディー・へリントン、出演キューバ・グッディングJr/トム・べレンジャーほか。
他人が書いた推理小説を盗作出版して人気作家になった主人公が、小説の内容が実際の未解決殺人事件そのままだったために警察に疑われる・・・・・・という話自体は典型的サスペンスで悪くないのだが、テンポの悪いテレビドラマみたいにしまりがなく、なかなか画面に集中できない。『スリー・リバーズ』(水上警察の勤務風景がなかなかよかった)と同じ監督とは思えない薄っぺらさ。後半になると多少動きが出てきて(前半にくらべれば)マシになるが、いっそテレビ的スケールでこじんまりまとめる作りをしたほうがおもしろくなったかも。頭の中だけでこしらえたような話なんだから(そこは『スリー・リバーズ』と共通する)。
真犯人の行動にかなり無理があるのはまあいいとして、科学捜査で簡単にわかることを度外視した部分はいくらなんでも杜撰すぎ。ちょっと推理小説に親しんだ程度の人にも総ツッコミされるだろうことを思えば、どう甘くみてあげたくても許容範囲の限度をこえている。
あと、主人公のキューバ・グッディングJrが水野晴郎に見えてしかたがなかった。サスペンスな展開に集中できなかったのはそのせいもちょっとあるかも。それで思い出したが、全然関係ないけど『ナインスゲート』のジョニー・デップは田代まさしにしか見えなかったなあ。

2004年10月31日

『魔界転生』(1981) …何で今ごろ?

 なんとなく退屈というイメージしか残ってなくて、去年だったかにテレビ放映されたのを一応ビデオ録画しておいたもののなかなか見る気が起きなかったが、やっと見てみた(他に録画したいものがあったのでビデオを空けるため)。
 で、やっぱり退屈。スーパー歌舞伎みたいなけれんがコンセプトだってことは誰でもわかるが、舞台中継を見ているようで、こう、やはり映画的な躍動感みたいなものがない。柳生十兵衛と宮本武蔵の剣豪ヒーロー対決とか面白くないはずはない内容なのに、なんだか時代劇村のショー(見たことないけど)のように緊張感や迫力を欠く。沢田研二と真田広之のキスシーンも男としては興味なし。俳優の顔ぶれとか監督が深作欣二だからとかで評価する気にもなれず。千葉真一が千葉真一でしかなかったのがおもしろいぐらいか。
 そういえば深作欣二はこれの前が『復活の日』で、その前が『宇宙からのメッセージ』。これのあとが『蒲田行進曲』『里見八犬伝』と続く。うーん。
 初期は泥臭いマカロニウェスタンみたいだった必殺シリーズがだんだん歌謡ショーみたいになっていったのを思い出す。

2004年10月04日

『ボディ・ハンティング』

まあ、あれです、いちおう見たので。深夜放映。
原題の"Hell Mountain"または"CHAINED HEAT 3"(正規のシリーズかどうか知りません。お暇な方は調べてね)から予想される通りの作品です。近未来の話になってるのは、現代ものや歴史もので女囚の設定を考えるのがめんどくさかったからかな? 1998年チェコ/カナダ。
文明崩壊から50年後、ヘル・マウンテンと呼ばれる鉱山を独占するナチスみたいな連中と、その圧政に苦しむ村の人々がいた。村は年貢がわりに若い娘を差し出さなければならない。で、娘たちは性の奴隷にでもされるのかと思ったら、鉱山で石運びの強制労働をさせられるのだ(だったら若い男にしろよ! と思うが、まあそれでは女囚映画にならないし)。恋人をさらわれた若者がヘル・マウンテンにのりこんでドンパチやるというのが大筋のストーリーです。
病魔に侵されて醜い容姿をした悪の司令官とか、いにしえ(といっても50年前だが)の科学文明の知識を伝える「ティーチャー」の生き残りとか、主人公を助けて死ぬ気のいい相棒とか、それっぽいベタな安物SFの設定にはなっています(それにしても相棒が開始30分で死ぬのは早すぎ。もう少し粘って思い出残してから死なないと。いろいろ逆算した結果そこしかシーンを入れる場所が余ってなかったのかもしれないが)。あと、悪者たちが弱すぎ。見かけはナチスみたいで怖そうなのにあっさりやられちゃう。
他にも設定やストーリーにツッコミどころは無数にあるけどいちいち書きません。そんな映画だってのは最初からわかってることだしね。なお"チェーンヒート"から期待させるような肉体バイオレンスは特に見当たりませんでした。

脚本のクリストファー・ハイドというのは、まさかこの人じゃないよね。カナダてのは合ってるけど。

2004年10月01日

『ノー・アリバイ 氷の疑惑』

いつだったかの深夜放映を録画しておいたもの。2000年アメリカ/カナダ、監督ブルース・ピットマン、出演ディーン・ケイン/レクサ・ドイグ/エリック・ロバーツ。
1時間半ほどの内容がえらい長く感じられるぬるいサスペンスで、まあ予想通り。「ノー・アリバイ」は原題のまま、邦題に「氷の疑惑」とついてるのは無駄なエロシーンがありますよという意味。悪女のヒロイン(レクサ・ドイグ)が愛にめざめ善良な主人公と結婚して子供まで産んでしまう展開が変といえば変。混血のみなしごというヒロインの生い立ちに焦点しぼって掘り下げたほうが素材的に面白かったかもね。全然違う映画になっちゃうだろうけど。
主演のディーン・ケインはべつにどこがいいってこともないB級映画俳優なんだが前から何か気になる風貌だと思っていたら、日本人の血が4分の1入ってたんですね。ベン・アフレックと村田渚(元フォークダンスDE成子坂のツッコミ)を足していくぶんマッチョにした感じ。元スポーツ選手とかの設定で頭悪そうな健康的ヒーローの役が多い。
やはりB級専門俳優のエリック・ロバーツはジュリア・ロバーツのお兄さんですね。
ヒロインのレクサ・ドイグはフィリピン人の母と白人の父をもつカナダ人女優(この映画の設定はベトナム混血孤児。元ベトナム戦争兵士の悪人エリック・ロバーツに拾われたというわけ)。

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