2010年08月07日

NHKの番組

 録画しておいたNHK「ディープピープル」の漫才師の回(出演は水道橋博士、増田英彦、中川剛)を見たが、意外に面白くなかった。なんだか話のはずまない顔ぶれということもあろうが、それだけではあるまい。
 映画監督のインタビューは好きなのだが、そういえば作家へのインタビューはあんまり面白くない。映画製作の場合はカメラや照明やセットや俳優など、様々な要素がからんでシーンを創り上げるダイナミズムがあり、裏話や具体的エピソードにも事欠かない。
 作家や漫才師の場合、せいぜい一人か二人でおこなう取材や打ち合わせの作業があるだけで話に広がりがない。「どうやってアイデアが浮かぶんですか」といった馬鹿みたいな質問を投げかけられたところで、面白い話を返せるはずもない。具体的エピソードといっても、作家が使う資料だとかワープロソフトだとか、漫才のセンターマイクがどうだとか、どうもスケールがせせこましい。
 漫画家の場合も似たりよったりだが、これがアニメ映画監督だと面白くなる。浮かんだアイデアを具体的にどう実現するかという、その、専門技術をもつ者たちが問題を解決しながら共同作業で創り上げていく部分が面白いからである。
 やはり裏話をきくなら本や漫才のことより、映画がよいということがあらためてわかった。それも、出演者にきくより監督やスタッフのほうがよい。ただし聞き手が馬鹿だと誰を呼んでも駄目である。

 NHKといえばついでに、アンコール放送でさきほど最終話まで見た「ハゲタカ」はテンポがよくてなかなか面白かった。昨年末放映の「外事警察」はせっかく日本で珍しい本格的なスパイスリラーと期待したのに、弛緩した脚本と演出で期待はずれだった。NHK土曜ドラマはこの二つしか見ていないが、「ハゲタカ」のほうがずっとよい。台詞やシーンが劇画調でなんだか青年コミック誌を見ているようではあるが。

2010年05月30日

やっぱり前半が面白い

『マトリックス』シリーズで面白いのは1作目の前半だけである。『ダークシティ』も圧倒的に面白いのは前半である。いずれも後半はおそろしく通俗的で古くさい展開にしぼんでしまう。例外は『A.I.』。これは逆で、人類が死滅した後の遥かな未来の地球を描く終盤のシークエンスが、お決まりの展開に終始するそこまでのお話にくらべて段違いに素晴らしい。
 こないだ放映された『アイ・アム・レジェンド』も、誰もいなくなったニューヨークでひとりぼっちのウィル・スミスが送る日常生活をつづった前半の描写が面白い。路上の好きな車に乗り放題、そこらのショップでDVDも借り放題、友達は犬だけ、街は自分が知っている街のままに、ただ誰にも遠慮がいらなくなった世界。夜は出歩けないが、それも何やら雨戸を閉め切った台風の晩のようでそう悪くない。
 それが懐かしいような気持ちがするのは、誰しも子供のころにそういう世界を多少なりとも夢想したせいか。孤独とひきかえに、誰にも監視されず誰にも構われない世界へ解放される空想は、あるいは透明人間願望(乱歩風にいえば隠れ蓑願望)にも通じるところであろう。あの無人と化したニューヨークは、乱歩にとっての押入れの中でもあったのだ。

2010年03月29日

訃報と重なる確率

「歌手・しばたはつみさん死去」のニュースに接した。
 昨日、たまたま『狂った野獣』という映画のことを思い出し、なんとなくグーグルで検索したところ監督の中島貞夫自身による解説というのがyoutubeにあるのを知り、それを視聴したついでに、横に出ている関連動画のなかに同じ渡瀬恒彦主演の『化石の荒野』予告編がならんでいたのでついでに視聴し、その流れでしばたはつみによる主題歌も聴いたところである。
 こういうのを虫の知らせ、ではなく、単なる偶然というのであろう。しばたはつみの「化石の荒野」は何ヶ月かおきぐらいにyoutubeで聴くから、関係者の訃報とたまさか時期が重なる確率がどの程度にせよ、そう不自然に低くはないはずである。
 この歌はもともとが映像イメージと結びついた楽曲だが、西村寿行の初期冒険小説にはまっていた十代の終わりごろによく聴いていた歌なので、個人的な記憶イメージと結びついた思い入れもある。






2010年01月28日

燃えつきた納屋

 昨年亡くなったモーリス・ジャールは最も好きな映画音楽家のひとりだが、その息子のジャン・ミッシェル・ジャールはフランスでは電子音楽における大家なのらしい。日本でいうYMO的な存在か。
 そのジャン・ミッシェルが初期に手がけた映画音楽がこれ。

シモーヌ・シニョレ、アラン・ドロン主演『燃えつきた納屋』(1973)


 このテーマ曲は昔NHK-FMで関光夫がやっていた映画音楽番組で流れたのをカセットテープに録音してよく聴いていた。
 映画の内容は、ある村で殺人事件が起きて、ひっそりと暮らしていた家族のプライバシーが警察やら何やらによってしっちゃかめっちゃかにいじくり回されるという現代的なテーマのお話。その家族の女主人がシモーヌ・シニョレ、捜査担当の刑事がアラン・ドロン。中学生か高校生のころ、水曜ロードショーだかのアラン・ドロン特集のときにみた。他に『お嬢さん、お手やわらかに』や『サムライ』がその特集で放映されたと思う。
(もう1本あった気がする、『ショック療法』だったか何だったか)

2008年11月09日

音楽だけおぼえていた映画

 昔テレビでみたイタリアの刑事もので、題名も内容もおぼえていないが音楽は今でも口ずさむぐらいおぼえている映画があって、せっかくネットがある便利な時代だから正体を突き止めておこうと思い立った。
 主演俳優は全然知らぬ人でもないイメージがぼんやり残っていたので、それらしいといえばトーマス・ミリアンあたりか……と見当をつけて探したら、一発で当たり。
ダーティ・チェイサー/凶悪犯死の大逃走500キロ』(1974)、監督はステルヴィオ・マッシ、主演はトーマス・ミリアン、他にレイ・ラブロックなんかが出ていたらしい。
 肝心の音楽はステルヴィオ・チプリアーニ(『テンタクルズ』『コンコルド』)で、さもあらん、道理でマイセンサーに感応したはず。1970年代のコテコテのイタリア通俗映画で印象に残る曲を作る人といえば一番手に出てくるべき名前であった。
 トーマス・ミリアンはマカロニウェスタンが有名だが、彼の主演作といえば陰鬱で汚らしくてサディスティックでやりきれないという印象、この刑事アクションも内容はさっぱりおぼえていないけどそんなイメージの映画だったはず。

SQUADRA VOLANTE(伊)
EMERGENCY SQUAD(英)



2008年08月07日

どろろ

 テレビでやったのを録画しておいて見ました。
 マンガやアニメの実写映画化にはかくべつ期待するところはないし、期待するとしても原作を離れて映画として成立していればよい(そのほうが映画として成り立つなら原作をどんどん改変すべし)と思っているわけだが、これは意外に出来がよくて少々驚いた。
 一番よいのは極度にスピード感を重視したアクション。アクション監督のチン・シウトンの手柄になるのか。ワイヤーアクションは(この映画に限らず)いまだによさがわからないのだが、刀で斬るシーンはやりすぎに思えるぐらい緩急差をつけたアクションにしてあって(動きが速すぎて見えなかったりするのでビデオを巻き戻して確認したりしました)、主人公がたしかに凄腕なのだと思える映像演出になっていた。そう思わせてくれさえすれば、百鬼丸がもっとクールに徹していればよいのに、とかいったことはもう二の次の問題になっちゃうわけですよ。
 妖怪については、着ぐるみ怪獣はちょっとどうかと思うが、近ごろの面白くもなんともないCGIモンスターを見馴れているせいもあって、コマ撮りの部分には好感がもてた。コマ撮りの独特の異質な動きがやはり妖怪には似合う。欲をいえば、動きだけでなく妖怪の造形デザインにももう少し得体の知れぬ異形感が出ているとよかった。
 ラストシーンで海が広がるのは旅ものウェスタンの勘所。いうまでもなくこの映画の世界観は日本の時代劇というよりマカロニウェスタンに倣ったものですからね。
 なお原作は手塚治虫のマンガのなかでも特に思い入れがある作品なのだが、もちろん映画をそんなこちらの勝手な色眼鏡で見たりはしません。

2008年07月24日

テレビでやってた映画いくつか

『ストレンジャー』
ピーター・ホール監督、レベッカ・デモーネイ、アントニオ・バンデラス出演。秀作とはいえないが王道のサイコスリラー。題材にふさわしく、一時間半足らずの長さにおさめたのはお手柄。他のサイコスリラーどもはみならえ。

『Focus』
井坂聡監督第一作。全編手持ちカメラによるドキュメンタリー調という点は『ブレアウィッチ・プロジェクト』のようでもあり、「テレビ取材カメラ」というものにたいする当てこすりパロディという面はマイケル・ムーアを思わせなくもなく、井坂聡監督作ではのちの『破線のマリス』と同テーマといってもよいが、この作品が何に一番似ているかというと、それらどれよりも「アダルトビデオ」に似ている。若き浅野忠信への「公園インタビュー」にはじまり、徐々に「裸に」していき、ついにキレてクライマックスの「本番」に突入、てな按配で、構成、撮影、演出から何からいわゆる「素人モノ」擬似ドキュメンタリーAVにそっくり。AVを見たことない人が見ればこういう「リアリティ」の追求を斬新に思うかもしれないし、本当にこれがAV(的な水準で測られるべき作品)だったら力作としてマニアの語り草になる可能性もなきにしもあらずだが、まあ、平たくいうと映画がAVを後追いしてどうするんだと思う(AVはAVで異様な独自進化をみせている映像分野という評価はありうるが)。長さが一時間二十分ぐらいなのはよい。

『欲望』
懐かしの『軽井沢夫人』あたりを思わせるノリ。津川雅彦と筒井康隆がコントみたいな「インテリ」会話で談笑したりする、そんな映画。篠原哲雄監督作を見るといつも思うことなのだが、登場人物全員、無関係な通り魔にでもグチャグチャに惨殺されてしまえばいいのにと思った(それをほんとにやってくれるのがスプラッタ映画の快感なわけです)。三島由紀夫を朗読しながら涙を流すというありえないラストシーン(いや全部がありえないシーンなのだが)は、何かのギャグなのか。ひたすらキモい。

『幻の光』
是枝裕和監督第一作。こういう映画を見ていると、どこにカメラを置いてどう撮っているのかってことばかり気になってしまう。引きの「絵」ばかりなので(人物の顔のアップといったショットはいっさいない)、野外だと移動半径が大きくなって大変だろうなあとか。よっぽど事前に段取りを細かく決めてるんだろうなあとか(へたすりゃ俳優陣と撮影陣が百メートル以上離れてるから)。「絵」としては文字通り絵画的ショットの連続なので、映画的悪意(ストーリー内悪意に非ず)に欠け、少々退屈ではある。いい感じのショットもいくつかあるし、似た題材(配偶者に死なれた主人公が辺鄙な漁村に移り住んで生きる)を神話ゴシック風味で処理した『シッピング・ニュース』に比べると全体に節操があるともいえるが、逆に節操ありすぎるというか、やっぱ漁村には魚臭さがほしくなるわけですよ。

『顔』
阪本順治は日本の娯楽映画の監督としては最高峰ではないかと思う。生活感に満ちたサスペンス映画は特に、ハリウッドをうわべでまねしたってサマになるはずもない日本で娯楽映画を作るとしたらこうするしかあるまい、という好見本だといいたい。この作品『顔』は、後半に若干の迷いみたいなものがみられ、やや時間経過的にだれる感じがなくもないが、情を描くに非情をもってし、深刻を描くにユーモアをもってして、安易な甘口や辛口に流さない引き締めはさすが。藤山直美が酔漢にレイプされたあと、相手に金を渡して立ち去る場面はハードボイルドでかっこいい(実際の台詞にはないが「犯されたんやない、うちが男を買うたったんや」という次第)。

『ジャッカル』
今回は何も考えずに楽しもうと思いつつ、どうしても『ジャッカルの日』と比べてしまうのはもう仕方があるまい。エドワード・フォックス(本来は飄々とした英国紳士が似合う俳優)のジャッカルはやっぱりあの普通っぽさが逆に異様な迫力だったなあ、とか。もっとも、実物のジャッカル(カルロス)はヤクの売人みたいな風貌をしているから、あくまでフィクションとしての迫力って話になりますが。ブルース・ウィリスはブルース・ウィリスでべつに悪くはないのだが、見るからにただ者ではない存在感のせいで「すべてが謎につつまれた殺し屋」との設定では少々無理がある。目立ちすぎるわけです。単純に「ブルース・ウィリスが悪役に扮したアクション映画」として楽しめばいいのではあるが、腕前を見せる場面にキレがなくヘマをやる場面のほうばかり目立ってしまっているため、言うほど「凄腕の殺し屋」にみえないのが難点になっている。とかいってまあ、なんだかんだでやっぱ自分はこういう映画が好きなんだなあとあらためて思った。

『アサルト13』
深夜放映でジョン・カーペンターの『要塞警察』をみたのはもう三十年近く前か(当時話題の『ハロウィン』『ザ・フォッグ』の監督の旧作を発掘紹介、てな形ではなかったかと思う)。無言でサイレンサー付き拳銃を撃ち込んでくる若者たちが不気味で、小品ながら銃撃攻防のみに徹して印象に残る映画だった。あとで考えると『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のゾンビの群れを「(新聞がいうようなイメージでの)現代の無表情な若者たち」にそっくり置き換えたような内容で(一般には『アラモ』へのオマージュといわれる)、このリメイクは警察分署にたてこもって襲撃者の群れに応戦するという基本シチュエーションは同じだが、襲撃者の設定をがらりと変えてあって、ずっとハリウッド的な理に落ちたお話にしてある(細かいことをいうと話が粗っぽくて理に合わない部分もあるが、少なくとも「理解不能の怪物」的不気味さは今回ない)。ただのアクション映画になってしまったと失望するか、これはもう別物のアクション映画なんだ思って楽しむか。自分はどっちかというと後者かな。

2008年06月13日

深夜映画メモ

『親切なクムジャさん』
これは今までみた韓国映画のなかでは『殺人の追憶』とならぶぐらいの(つまりトップクラスの)面白さ。クリスティーの某有名作をヒントにしたのかと思わせるようなシーンが(ミステリー的な仕掛けではないけど)あったり、猟奇幻想風の諧謔、美学もある。ラストの雪のシーンは、なんだか久々に「映画のラストシーン」というものをみせてもらった気がした。
作品全体の感じはごく大まかにいえばタランティーノ風といってもよいのだが、ヒロインが勤めることになるケーキ店(店主が日本で修行したという設定)の名が「ナルセ」。これはやっぱ成瀬巳喜男か。で、この映画はシャリーズ・セロン主演でアメリカでリメイクする予定があるらしい(アメリカで作るならそれこそタランティーノなんかでないと無理じゃないのと思うが)。もはやどの国の映画がどの国の映画をお手本にしているとかいった線的な影響関係ではなく、全世界的な共有財産としての映画が世界各国をぐるぐる流動しているのだと思わなければならない。

2008年05月16日

最近の日曜洋画劇場

『さくらん』
覚悟はしていながら、みながら思わず「ひどいなこれ」と口に出して苦笑いしてしまう、そんな映画でした。どうせこうやりたいんだろうと先読みした通りの「映像」が次から次へあらわれるだけ。
まあ予想通りだったから特に失望もしませんでしたが。

『沈黙の追撃』
これは予想と違ってなんだか変な映画だった。まるでグリッケンハウス(『エクスタミネーター』『マクベイン』)みたいな、妙にすかっとしない戦闘チームもの。なんでこんな場面展開なのか、なんでこんな場面描写をしているのか、読めない。
よくあるサブリミナルをまねたような今風のダサい映像編集はおいといて、敵味方の誰彼もが予定通りにいかなくてドタバタしてる泥沼活劇な感じはけっこう嫌いじゃない。ただセガールには馴染まんぞ。

2008年02月03日

こんなのもあった劇場未公開作

『殺しの季節』Espion, lève-toi フランス/スイス合作
リノ・バンチュラやミシェル・ピコリが出ていたシリアスなスパイもの。『遅れてきた死神』というタイトルでビデオ発売もされたらしい。
データでは1982年作となっているが、当方の記憶によるとテレビで見たのも1982年だったから(83年にはなっていなかった)、ずいぶん手早い劇場未公開→テレビ放映の判断だった模様。
映画音楽ファンだったのでテーマ曲のメロディをおぼえていて、ずいぶんあとにエンニオ・モリコーネの二枚組アルバムに収録されているのを聴き「ああこれモリコーネだったのか」と知った次第。


ストーリーは使う/使われるスパイたちの虚々実々のかけひきが入り組みすぎて、おぼえていない。調べてみたら原作はジョージ・マークスタインの"Chance Awakening"(1977)なのらしい。正直、一回見ただけでは細かいところまで充分に理解できなかったおぼえがある(一回しか見ていないのだが)。
なおマークスタインといえば「プリズナーNO.6」の制作/脚本の人で、同じ題材の『クーラー』というスパイ小説もあった。他に『裏切り者と朝食を』なんかの邦訳があった。

2008年02月01日

こんなのみつけた

日本では二十数年前にテレビでのみ放映された
ジョージ・シーガル主演の『バンクーバー暗殺計画』
カナダの警官がコスイギン暗殺を阻止しようとする話です

2008年01月20日

年末年始深夜映画メモ

タイミングを逸しつつ年末年始にテレビ深夜放映で見た映画のメモ。

『ザ・エージェント』
大幅カットの放映。話がつながってませんよ。

『最後の恋のはじめ方』
何もかも型通りの恋愛コメディ。型通りなのは構わないのだが、主演の二人(ウィル・スミス、エヴァ・メンデス)に魅力がないのが。エヴァ・メンデスの吹き替え(瀬戸朝香)が上手下手以前に音質的に浮いていたのは別録か。

『ジョー・ブラックをよろしく』
楽しげな要素がいっぱいあるのに、長々としたラブシーンばかりでいまいち楽しめない。ブラッド・ピット好きの女性にはいいのか。

『ロスト・メモリーズ』
例によって例の如しの劇画風韓国映画。拳銃を向けて見つめ合うシーンばっかし。何回やりゃ気がすむんじゃ。

『ミッション・トゥ・マーズ』
何でしょうこれは。

『大逆転』
『フィラデルフィア・エクスペリメント』
たまにこんなのも混じってる。『ファイナル・カウントダウン』が見たくなりました。

『日本以外全部沈没』
もとから何も期待してはいないけど、河崎実は80分以上の映画を撮るべきではないだろう。

『三年身籠る』
シーンが細切れで、各シーンが悉く定規で測ったように同じ撮り方。10分も見るといいかげんにしろよと言いたくなってしまうが、見るべきものが何もないことを確認するために最後まで見ました。

『バタフライ・エフェクト』
ずいぶん昔にこれとそっくりなアイデアのお話を夢想したことがある。ある意味シャマラン風。

『あの子を探して』
チャン・イーモウは『HERO』とかよりこういうほうがいい。「社会派」に見せかけた一種の幻想映画でしょう(ブニュエルの『忘れられた人々』がそうであるような意味において)。

『いちご白書』
この映画の知名度がこんなに高いのはきっと日本だけ。どうせなら同年のブルース・デイヴィソンのもう一つの主演作をやればよかったのに。ねずみ年のお正月なんだし。

『シッピング・ニュース』
アメリカのひなびた漁師町が出てくる映画が好きなんで期待したが、風景の撮り方がゴシックロマン風で期待したものと違った。ミステリー映画だったらそれでもいいんだけど。

『天国から来た男たち』
世界のミイケは単刀直入でいいね。たまになんじゃこりゃってのもあるが、これはすごく面白い。

『変身』
東野圭吾原作。主演二人(玉木宏、蒼井優)のシーンが、昔の宇宙企画のビデオを見ているようで困った。推理ものとしても恋愛ものとしても成立していない。いっそゲテモノサイコホラーにでもすればよかったのに。

『過去のない男』
いろんな賞を獲得したアキ・カウリスマキ監督作。音楽の趣味(アメリカン・オールディーズ)がやたらいいんだなこれ。「ホノルル午前二時〜」なんてのも流れるし。

なんだかケチつけてばっかみたいになってしまったが、例年にくらべても全般に低調だった感じ。
ミステリー、ホラー、アクションがほとんどなかったのも物足りなかった。セガールをやらないお正月なんて。

2007年12月09日

深夜映画メモ ああもうそこはそうじゃないだろ篇

『GUN CRAZY 復讐の荒野』
シリーズの1作目で米倉涼子が女ガンマンで主演(ちなみに2作目は菊川怜、3作目は仲根かすみ&大谷みつほ、4作目は加藤夏希&原史奈がそれぞれ主演)。
内容は、マカロニウェスタン(『夕陽のガンマン』あたり)まんまの話を現代日本の架空の町に舞台を移したもの。マカロニ以外にも『クイック&デッド』等々、ようするにごちゃまぜ。
全体的にすごくちゃっちくみえてしまうのは実際に安物だからいいとして(よくはないが)、せっかくかっこいいマカロニ調をめざしているのに、あまりにもキレがないというかセンスがなさすぎて困った。肝心の早撃ちガンアクションはすべてスローモーションを導入。スピード感も何もありゃしない(ある種のマカロニウェスタンやカンフー映画では逆に早回し気味にするところだ)。そんなのはこれに限らず多いが、ペキンパーをきどってるんでしょうかね。全然違うんだけど。
最後の見せ場も、見せ方を誤ったせいで台無し。ひとむかし前の戦隊シリーズみたいになってしまった(てっきり『クイック&デッド』でもやってた『ロイビーン』のアレでくると思ったのに)。そこだけでもかっこよく決めていたらまだ一筋の救いがあった……か?
もうなんちゅうか、「俺にやらせろ!」って感じ。

2007年09月23日

深夜映画メモ

『スクリーム』
蓮実重彦はウェス・クレイヴンのホラー(これや『エルム街の悪夢』)がずいぶんとご贔屓のようだ。それはおそらく差別意識の裏返しでもあろう(「子供だましのホラーなんぞくだらない、それにしちゃ面白いことやってるじゃないか」)。ロラン・バルトが「アクロイド」に言及したりするようなもんだ(弟子筋は真に受けて推理小説の「叙述」やら「メタ性」やらを生真面目にブンセキしたりしてるが、根本的にバルトは推理小説を馬鹿にしていた人である)。

『ドーン・オブ・ザ・デッド』
これのリメイク元であるロメロの『ゾンビ』は、意図はわかるにしても、長すぎる(二時間超)のが玉に瑕だった。だからといって、ただ短縮すればいいというものでもない。ロメロの作が意図していたであろう「異常なる日常」の描写が、時間節約によってただのギャグになってしまっている。
とはいえ、一時間四〇分程度の気軽なホラー映画としてはそこそこ楽しめる。

『テイラー・オブ・パナマ』
「プリンス・マルコ」風の話を『ハバナの男』(グレアム・グリーン)風に処理しているわけだが、当然ながらぎくしゃくしている。ル・カレ(原作、脚本)は冷戦後の世界を何かの冗談のように思っているかもしれないが、事実はそう単純ではあるまい。眉唾的な単純さがジョン・ブアマン(監督)の資質ともいえようが。ちなみにわたくしはグリーンのスパイ小説では見え透いた風刺小説の『ハバナの男』より、『スタンブール特急』などのほうがはるかに好きだし文学的価値もあると思っている。
ところで、『スクリーム』でも言及されていたジェイミー・リー・カーティスがここではインテリ女性を演じているが、シガニー・ウィーバー(ホラークイーン→インテリ役)の後を追うイメージなんだろうか。あるいは『ワンダとダイヤと優しい奴ら』あたりからの流れか。

2007年07月18日

深夜映画メモ

『ロードレージ』
前半が『激突!』で、後半が『脱出』(1972)『激流』(1994)といった川下りスリラーのカーチェイス版という感じ。
監督はすっかりB級やっつけ要員と化してしまったシドニー・J・フューリー。追う追われる双方の狂気がエスカレートしてコミカルタッチになっていったり、もともと発想も何もないような題材を何とか面白くしようと(やっつけ的に)工夫は加えているが、どうにも面白くならないのは何が足りないのか(若さ、かな)。どうせ幾番煎じの捨てネタなら、ニュージーランドあたりの若い監督にでもやらせてみれば、いかれたスリラーになる可能性がまだしもあるのにと思った。
これをみながら考えていたのは(集中してみられるような映画じゃないから気が散るのだ)、七〇年代に有望視されながら八〇年代以降にぱっとしなかった人たちのこと。せいぜい七〇年代初頭あたりまでがピークだったフューリーをはじめ、『脱出』のジョン・ヴォイトやバート・レイノルズも今となっては七〇年代がピークだったというしかない。そういや『ロング・グッドバイ』のエリオット・グールドについて、「ただの七〇年代の個性を持った俳優にすぎない」と金井美恵子は書いていたが、『オーシャンズ11』でのたるみきった腹を目の当たりにすると、たしかにその通りとうなずかざるをえないのがもどかしい。あの人も、この人も……トミー・リー・ジョーンズみたいな人を数少ない例外として、みんなたるんでしまった。

『夢を生きた男 ザ・ベーブ』
七〇年代に活躍した監督や俳優の多くが時代の変化に合わせられず(取り残されて、とは言わない。時代は幼稚化の方向に変化したのだからである)失速していくなか、六〇年代、七〇年代とコンスタントに活躍してきたアーサー・ヒラーは、九〇年代になっても何も変わっていない。この映画を撮ったときは68歳ぐらいだった。
ベーブ・ルースは善人でも悪人でもなく、そういう人、として描かれる。たまたま世界で一番ホームランを打つ才能があっただけの人。みている間、マラドーナの姿が重なってならなかった。たまたま世界で一番サッカーがうまかっただけの人。もちろん、ゆえに彼らは偉大なのである。
薄幸の最初の妻を演じるトリニ・アルヴァラードは、『タイムズ・スクエア』(1980)の主演少女コンビのうち育ちがよかったほうの娘。この映画でも世間ずれした二番目の妻ケリー・マクギリスとの間で似たようなキャラ対比になっていた。



おまけ(TVドラマ)

『怪奇大作戦セカンド・ファイル 昭和幻燈小路』
CG合成やら色彩処理やらで作った映像は昨今のくだらぬ「昭和」ブームによる捏造イメージを超えるものではないが、町が過去の時代に様変わりしても人々がさほど動揺もみせず馴染んでしまうあたりに、「奇妙な味」の片鱗を感じることができた。

2007年07月12日

目が疲れた

十代のころは映画館の最前列の座席で観るのがけっこう好きだった。ふつう映画館は(上映中は)暗いものだが、最前列だとスクリーンに反射した光をもろに浴びて、どっぷり映画に浸っている気分になれる(ような気がしていた)。『レイズ・ザ・タイタニック』のときは咳が止まらないような状態で行ったため、遠慮して一番後ろのほうの座席で観たが、なんだかとても物足りない気がしたものだ(いちおう断っておくとそれは映画の出来映えとは関係ない、最前列で観た『オーロラ殺人事件』は満足しましたからね)。
ところが近ごろのハリウッド大作はDVDリリースを前提に作られているとしか思えないので、最前列あたりで観ると通常の視界や動体視力のキャパを超えてしまい何が何だかわからない(こっちの視力が衰えたせいじゃないかといわれれば完全否定はできないが、眼鏡がいらない程度の視力はまだ保っています)。その証拠に、ネット上で観る予告編の小さな画面だと同じ場面でもやけに「絵」がわかりやすい。つまり、アクション大作だ迫力大画面だと謳っても、実は小さな画面で観るのにちょうどよい絵作りがしてあるのだ。いっぽう、たとえば黒沢清のホラーのような、どちらかというと(ハリウッド大作にくらべて)マイナーだと思われている映画は、映画館のスクリーンの大きさで観るのに適した作りがしてある。「大作」は小さな画面で、「マイナー」は大画面で、ということである。なんだか不条理である。
てなわけでまあ、『ダイ・ハード4.0』に行ってきたんですが、うかつにも前から二列目の座席で観てしまった。ブルース・ウィリスを近くで見たかったんだもの。ひととおり全編みおえての感想は「こりゃあテレビの画面でもう一回(というか二〜三回)みないと何ともいえんなあ」である。これは正しい感想じゃないでしょうか。だってそういうふうに作ってあるとしか思えない。
ブルース・ウィリスに関しては、反抗期の娘が出てきたりして何だか(『ダイ・ハード』というより)『ラスト・ボーイスカウト』だなあ、ハッカーの若造を相棒に配してるのは『リオ・ブラボー』のリッキー・ネルソンみたいだなあ、ってことはやっぱりジョン・ウェインなのか、でもジョン・ウェインは実は「父親」ではないから、ジョン・ウェインの役どころと「父親」の役どころを同時にやらすのはちと無理があるなあ、みたいなことを思ったりしたのだが、まあ基本、ブルース・ウィリスが見られれば、というか、彼の甲高い声がきければ、何でもいいのである。
『シックス・センス』や『アンブレイカブル』のときみたいに掠れそうな低い声でぼそぼそ喋るのは、絶対無理してるとしか思えない。ブルース・ウィリスの映画は、彼の声のトーンが高ければ高いほどよいのである。

2007年07月10日

深夜映画メモ

『カリスマ』
黒沢清のホラー映画は、一本みたらもっとみたくなるし、よい日本映画をみたいという人がいれば積極的にすすめたいとも思うが、心から好きかと問われれば、ちょっとためらうところがある。
テレビの「映像」や派手なハリウッド映画が巷にあふれる今の日本で映画をつくるとしたら、どうしたらよいか(あるいは、どうしたら駄目か)を考えることを批評的正しさというなら、それをちゃんと考えてつくられている黒沢清の映画は「正しい」。しかし実際、満足度は腹八分といったところである(そのせいで「もっとみたくなる」わけでもあるのだが)。
この『カリスマ』は現代の「世相」とでもいうものを主題にした露骨な寓話で、しかもよくできた寓話ホラー映画だと思うが、それだけにいっそう、テーマにしろ人物配置にしろカメラにしろ演出にしろ、わかりやすすぎるというか、あまりに整然としすぎている感がある。黒沢清のホラー映画には間違い(マイナス点)がほとんどないので、「やってはいけないこと」を多発するそこらの映画をみているときのようないらいらは感じずにすむ。つまり、気持ちよくみられる。しかしその批評的正しさ(マイナスをゼロにすること)の徹底ぶりに比して、創造的要素(プラス)の積み上げが、決してないわけではないが、割合的に少なく感じられてしまうので、どこか物足りなく、腹八分感にとどまってしまうのである。
最初に書いた「他人にもすすめたいぐらいだが、心から好きかというとためらう」ことの理由をいえば、そういうことである。

『フィッシャー・キング』
同じテリー・ギリアムの『12モンキーズ』なんかもそうだが、ようするに『アンバーの九王子』ですな。あるいは『競売ナンバー49の叫び』。ありふれた現代の事物(都市の乱雑な風景記号とか)を読み替えることで「真世界」へ通じるかも、という。ネオプラトニズムというか。
いまひとつ気に入らないのは俳優に大袈裟な演技をさせたりするところだけども(モンティパイソンの人ですからね)、モチーフとしてはまあ悪くない感じ。



おまけ(TVドラマ)

『必殺仕事人2007』
必殺シリーズは舞台ショーみたいなキレイキレイ映像になってからはちと食傷気味だったが、久々にみるとけっこう面白いですね。やけにジャニーズジャニーズしてたのは、まあいいか。伊賀の女忍者がかっこよかったぜ。

『怪奇大作戦セカンドファイル ゼウスの銃爪』
何だこのはぐれ刑事純情派は。
あいかわらず清水崇のおっさんくさいギャグはすべっているが、そこはまあご愛嬌ってことにしとこう。

2007年07月01日

深夜映画メモ

今年も見る映画見る映画忘れてしまっている。

『コンセント』
中原俊監督作。らしいっちゃらしい。自分は他人に興味ないけど他人はみんなわたしに興味もってくるんですよねー的ヒロインの話(書いててもうざいな)。

『スカイ・ファイター 地獄の最終指令』
拾いものを期待したがそうではなかった。

『フェア・ゲーム』
逃げるアヒル。公開当時はシンディ・クロフォードばかり喧伝されていたように思うが、新聞の番組欄には「W・ボールドウィンほか」とだけ。隔世の感。

『マーキュリー・ライジング』
ブルース・ウィリスは自閉症の少年を守るFBI捜査官で、翌年の『シックス・センス』と似たような設定。タフな父親的キャラ設定はすでに『ラスト・ボーイスカウト』(1991)からあるが、アメリカ映画界は彼を現代のジョン・ウェインにでも擬そうとしたのだろうか。似合いもしないのに父親を演じようとするヒーローはいかにもアメリカ的というべきかもしれぬが、今では稀少種の、映画スターと呼ぶにふさわしい映画スターであることは確かだ(でも本人はたぶん「役者」きどりなんだな)。

2006年06月06日

ぱっとしないミステリー映画2つ

『うつつ UTUTU』(2001)
原作は連城三紀彦の短篇「夜の右側」。監督は当摩寿史、出演は佐藤浩市、宮沢りえ、大塚寧々ほか。
冒頭に「愛する女性との結婚生活は素晴らしいものだ」というような意味の今どき無邪気すぎる主人公のモノローグがあることから、展開は推して知るべしの浮気話サスペンス。「ゆるぎないものと信じていた日常が崩れる」というタイプのサスペンスもの(映画でも小説でも)がたいてい面白味に欠けるのは、前提の「日常」の描き方が、そんなん崩れるに決まってるだろとしか思えない薄っぺらさになっているからなんだな。薄っぺらいほうが崩しやすいだろうけど、楽しちゃいかん。

『フラッシュバック』(2001)
監督のジェイ・ロウィは最近『ワイルドシングス3』とやらいうTVムービーを撮ったりしている人らしい。出演はレイチェル・リー・クック、ジョナサン・リス=マイヤーズ、ショーン・ハトシーほか。
病院に運び込まれた青年が語る寝取られ男の話。最後に真相が明らかになるミステリーだが、こういう構成(過去の出来事を断片的に語っていく)ならもっと緻密に組み立てるか、アイデアを大胆に練るかしたほうがよかっただろう。映像は思ったほどひどくなかった(最悪のものを覚悟していたせいだが)。

2006年04月18日

『いま、会いにゆきます』

のテレビ放映を見た。
こりゃあ何だろう。イメクラの初恋&新婚プレイ(というものがあるか知らないが)のプロモーションビデオみたいで、ここまで自堕落な自己愛の薄っぺらな妄想一辺倒に徹底できるのはもはやまともな神経ではなく、変な映画であることは確か。「撮影中はスタッフも俳優もみんな気が狂っていた」(『悪魔のいけにえ』スタッフ談話より)としか思えない。同じような話の『黄泉がえり』は普通の映画の範囲だったが。

その裏でやってた「いま、殴りにゆきます」はまだ見てなかったかと思って念のため録画しといたが、前に見た気がしてきた。どっちみち忘れてるから同じことか。

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