2007年07月18日

深夜映画メモ

『ロードレージ』
前半が『激突!』で、後半が『脱出』(1972)『激流』(1994)といった川下りスリラーのカーチェイス版という感じ。
監督はすっかりB級やっつけ要員と化してしまったシドニー・J・フューリー。追う追われる双方の狂気がエスカレートしてコミカルタッチになっていったり、もともと発想も何もないような題材を何とか面白くしようと(やっつけ的に)工夫は加えているが、どうにも面白くならないのは何が足りないのか(若さ、かな)。どうせ幾番煎じの捨てネタなら、ニュージーランドあたりの若い監督にでもやらせてみれば、いかれたスリラーになる可能性がまだしもあるのにと思った。
これをみながら考えていたのは(集中してみられるような映画じゃないから気が散るのだ)、七〇年代に有望視されながら八〇年代以降にぱっとしなかった人たちのこと。せいぜい七〇年代初頭あたりまでがピークだったフューリーをはじめ、『脱出』のジョン・ヴォイトやバート・レイノルズも今となっては七〇年代がピークだったというしかない。そういや『ロング・グッドバイ』のエリオット・グールドについて、「ただの七〇年代の個性を持った俳優にすぎない」と金井美恵子は書いていたが、『オーシャンズ11』でのたるみきった腹を目の当たりにすると、たしかにその通りとうなずかざるをえないのがもどかしい。あの人も、この人も……トミー・リー・ジョーンズみたいな人を数少ない例外として、みんなたるんでしまった。

『夢を生きた男 ザ・ベーブ』
七〇年代に活躍した監督や俳優の多くが時代の変化に合わせられず(取り残されて、とは言わない。時代は幼稚化の方向に変化したのだからである)失速していくなか、六〇年代、七〇年代とコンスタントに活躍してきたアーサー・ヒラーは、九〇年代になっても何も変わっていない。この映画を撮ったときは68歳ぐらいだった。
ベーブ・ルースは善人でも悪人でもなく、そういう人、として描かれる。たまたま世界で一番ホームランを打つ才能があっただけの人。みている間、マラドーナの姿が重なってならなかった。たまたま世界で一番サッカーがうまかっただけの人。もちろん、ゆえに彼らは偉大なのである。
薄幸の最初の妻を演じるトリニ・アルヴァラードは、『タイムズ・スクエア』(1980)の主演少女コンビのうち育ちがよかったほうの娘。この映画でも世間ずれした二番目の妻ケリー・マクギリスとの間で似たようなキャラ対比になっていた。



おまけ(TVドラマ)

『怪奇大作戦セカンド・ファイル 昭和幻燈小路』
CG合成やら色彩処理やらで作った映像は昨今のくだらぬ「昭和」ブームによる捏造イメージを超えるものではないが、町が過去の時代に様変わりしても人々がさほど動揺もみせず馴染んでしまうあたりに、「奇妙な味」の片鱗を感じることができた。

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