2010年06月30日

中休み

一次リーグの試合を見ていてパラグアイもチリも同じようにナイスチームだと思ったけど、その好調チリも手堅いドゥンガのブラジルにはまったく歯が立たなかった。おそろしい。日本の次期監督候補にビエルサ(現チリ監督)の名があがっている記事をちらっと見かけたけど・・・
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2010年06月13日

子供が読んだミステリー

 ルネ・クレールの『そして誰もいなくなった』を見て「名探偵が出てこないミステリー」の面白さに開眼したようなことを書いたが、実はそれ以前に出会って強烈な印象を受けた作品がある。
 学研の学習科学の増刊「読み物特集号」に載っていたもので、結末でずいぶん意表を突かれた外国作家の短篇があった。その「読み物特集号」はたしか姉が買っていたのが家にずっとあったやつだから、年齢が私より四つ上なら小学生時代にリアルタイムで読んだ人があるかもしれない。
 内容はアメリカの町で起きる煙草屋連続強盗事件の話で、意表を突かれたのは、それがいわば「叙述トリック」の作品だったからである。作中の人物にとっては特に意外なことは起きていないのだが、読者を騙す書き方がされていたことが最後にわかる仕組みで、そういうものに何の免疫もない(もちろん「叙述トリック」なんて言葉も知らない)子供が読んだのだから、騙されないほうがどうかしている。うわやられた何だこれは、である。
 ただ、そこで「名探偵が出てこないミステリー」の面白さに目ざめた、というふうにあまりならなかったのは、小学生のときからSFショートショートはけっこう読んでいて、ミステリー、推理小説、といった枠よりも「意外な結末の短篇」という意識でとらえていたからだろう。せいぜい、SFじゃなくてもこんなのがあるんだ、という程度の認識だったはずである。
 内容の記憶を頼りに大人になってから調べたところ、件の短篇はどうやらウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の作品だったようである(創元推理文庫『アイリッシュ短編集』に収録されているはず)。ただし当方の記憶と照らし合わせると、「読み物特集号」に載ったものには大胆な改変がなされていた。子供向けにしたというだけではなく、結末の意外性にも大きくかかわってくることで、同じ話をまったく別の方向から語り直したものだといってよい。誰がリライトしたのか知らないがえらく思い切ったことをしたものだ。

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2010年06月12日

『終りなき夜に生れつく』といえば

 何しろ最初に読んだクリスティーの長篇である。愛着がないわけがない。
 中学生のころテレビの深夜放映で「クリスティー原作」という以外には何の予備知識もなしに(したがって、これという期待感もなしに)モノクロ映画の『そして誰もいなくなった』を見て、あまりの面白さに本屋へすっとんでいき、「アガサ・クリスティーの長篇で名探偵が出てこないやつ」をさがして買ってきたのが『終りなき夜に生れつく』だった。すでにクイーンはちらほら読んでいたと思うし、ポワロやマープルといった探偵の存在も情報としては知っていたと思うが、名探偵が出てこないミステリーもこんなに面白いのだということを映画で具体的に教えられ、いてもたってもいられなくなったのである。家に着くのを待ちきれず、駅のホームで本を開いて読み始めたこともおぼえている。
 なかなか事件らしい事件が起きなくてもまったく苦にならなかったのは、ルネ・クレールがアメリカで撮った(というデータは後で知ったのだが)『そして誰もいなくなった』にすっかり舞い上がり、その余韻をたっぷりひきずったまま読んだからである。小説を読むというよりは映画を見るように、いちいち頭のなかでシーンを映像に置き換えながら、そして自分で思い浮かべた映像イメージを反芻し浸り込みつつ読み進めたので、ストーリーなどはほとんど二の次であり、終盤で明らかになる真相やトリックもそのときの自分にとってはおまけ程度の楽しみでしかなく、推理小説を読んだというより一本の映画を見終えたような満足感だけが残ったのであった。
 続いて、やはりポワロもマープルも出ない『ゼロ時間へ』を読んだのだったと思うが(もちろんこれも面白かった)、少し後にNHKで放映された英国製のTVドラマ『なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?』(これも名探偵が出てこない)もこちらのイメージを裏切らないもので、ストーリーも面白いが楽しんだのはやはり英国の風景がふんだんに出てくる映像イメージだった。
 しかし、ずいぶんあとになってよく考えてみると、クリスティーの小説自体にはさほど風景描写といえる文章は出てこないのである。あってもごく簡潔で、お世辞にも上手いといえるものではなく、前にも書いた気がするがフィルポッツや他の風景描写を得意とする英国の作家にくらべると屁みたいなもんである。
 にもかかわらず、映画の余韻にひきずられて読み始めた自分の場合だけでなく、クリスティー原作の数々の映画やTVドラマがまるで約束事のように強調するのが、風景イメージを前面に押し出した映像である。クリスティーの小説に書かれてもいない豊かな風景イメージを勝手に読んで楽しんでいた読者は、どうやら自分だけではなかったわけである。
 似たようなことがおそらくジェイン・オースティンの場合にも起きていて、オースティンの小説には純粋な風景描写がいっさい出てこないのだが(あるとしたら「あの人の地所にはこれこれの丘や森がある」といった事務的な説明文だけである。クリスティーの場合はともかく、オースティンは明確な意志をもって自分の小説から風景描写を排除したはずである。いわば、そんなものを「書かない」のが彼女にとって小説を「書く」ということだった)、映像化されたイメージではいかにも「英国風景」といったものが強調される。それこそ彼女が死んでも書こうとしなかったものだというのに。
『終りなき夜に生れつく』はいまちょっと読み返している暇がないが(サッカーの季節なもので)、たぶん読み返してみたら、ゴシックロマンスを基調にした作品だとはいえ、最初に自分が読んだときのような映像イメージに直結する描写はさほど出てこないのではないかと思う。いうなら、実際には書かれていないからこそ、ぽっかり開いた空隙に読者が手前勝手に思い描いたイメージを流入させるのだ。流入したイメージはほとんど既成事実化し、現実化し、映像によって具体化する。穿たれたイメージの真空にたちあらわれる「ヴェラ」(リラダン)のごとく。
 書かれてもいないものを読んでしまう読者は世界中にいる。たしかに書いてあった、と彼らは声を上げる。たしかに見たんだ、と主張する。

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