2008年02月29日

カテナチオと密室

↑なんていういんちきミステリー評論じみた表題はおいといて、藤原編集室の「今日のあぶく」(2/29付)に、現在企画中のL・P・ハートリー短篇集にからんだコメントとして「ヴェネチアを舞台にした話が数篇入っていて、イギリス人にとってのイタリア、ということをちょっと考えたり」と書かれていた。
 まっさきに思い浮かんだのはなぜかジュリアン・シモンズの『クリミナル・コメディ』だったが、当然ここで想起さるべきなのはアン・ラドクリフ、M・G・ルイスといった名前であろう。つまり19世紀イギリスのゴシック文学、暗黒小説の作家たち。彼らのイタリア幻想は露骨に明らかである。
 それとは若干ずれる話かもしれないが、フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』を読んだときは、後半にお話の舞台をイギリスからはるかコモ湖畔へもっていく理由がかくべつ見当たらず、もしやこの作者はコモ湖畔の描写がしたいがため強引にそういう展開を作ったのではないかと思ったものだ。というのも初めてフィルポッツの小説を読んで一番印象的だったのは、トリックでも探偵趣味でもなく、風景描写だったからである。
 たとえば(フィルポッツの近所に住んでいたこともある)クリスティーなどは、映画やドラマになったものでは風景撮影が強調されているが、原作の小説では風景描写といえるほどのものは実はあまり出てこない。晩年の作では多少そういう描写も試みているが、あまり得意そうでもなかった。しかしフィルポッツは60歳近くになってミステリーを書き始める以前に多数の一般小説(特に田園小説)を書いていたせいか、英国ミステリー作家のなかでも抜きん出て風景描写がうまい。つまり、自分の得意なことを発揮するために、ミステリーのプロットとはあまり関係ない動機からお話の展開を強引に作ったのではなかろうかと、『レドメイン家』読後に思ったわけである。
 そうした風景趣味は当然、交通機関の発達による19世紀以降の「観光旅行」の流行ということも関係あるはずだが、そういえばシモンズの『クリミナル・コメディ(The Criminal Comedy of The Contented Couple)』はイタリアへのツアー旅行のお話だった。もちろん、ダンテの『神曲(La Divina Commedia)』をもじった題名のこのシモンズ晩年の作では、往年の英国作家たちが好んだイタリア幻想は素直な形では再現されていない。が、素直でない形でなぞっていると見ることもできよう(最後に判明する真相なんかもねっ)。
posted by namiki | Comment(2) | TrackBack(0) | Trash

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