2008年01月22日

みんなが辛い目をみているのだ

 1月12日付の「こどもの詩」のところに自分が書いた「歯が抜けることも痛いが歯に噛まれる側の動物だって痛い、どんな生物も何かしらみな痛みを有しているのだ」という文章が何かに似ているなあと考えて思い出したら、ロス・マクドナルド『魔のプール』に出てくる一節「賞められるべき人間もいなければ、責めるべき人間もいない〜みんなが辛い目をみているのだ」だった。
 ロス・マクドナルドってこんなふうに自分で(場面の意味を)説明しちゃうところがちょっと安っぽい。せっかくお話を書いたんだからみんなにわかってもらわなきゃ損という貧乏根性のなせるわざなんだと思うが、いちいち作者に説明してもらわなくても読みゃわかりますよ。
 とはいえ、説明してもらわないとわからない人が世の中に多いのも事実で、だから大市場をあてこんだアメリカ映画は何かと最後に主人公が感動的演説ばっかりやっているのだ。最後の演説で全部説明しちゃうんだったら、そこまで二時間だかをかけてやってきたドラマ描写は主題提示に関するかぎり時間の無駄に等しいわけで、これは見る人を馬鹿にしているだけでなく、作者(監督、場合によっては脚本家)にとっても屈辱的なことだと思うのだが、「観客は馬鹿だからくどいほど説明してやらないと理解できないのだ」というそれなりの事実に即したマーケティングに基づく製作システムの中で、仕方なしにやっていることなんだろうなあ(と思いたい)。
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2008年01月20日

年末年始深夜映画メモ

タイミングを逸しつつ年末年始にテレビ深夜放映で見た映画のメモ。

『ザ・エージェント』
大幅カットの放映。話がつながってませんよ。

『最後の恋のはじめ方』
何もかも型通りの恋愛コメディ。型通りなのは構わないのだが、主演の二人(ウィル・スミス、エヴァ・メンデス)に魅力がないのが。エヴァ・メンデスの吹き替え(瀬戸朝香)が上手下手以前に音質的に浮いていたのは別録か。

『ジョー・ブラックをよろしく』
楽しげな要素がいっぱいあるのに、長々としたラブシーンばかりでいまいち楽しめない。ブラッド・ピット好きの女性にはいいのか。

『ロスト・メモリーズ』
例によって例の如しの劇画風韓国映画。拳銃を向けて見つめ合うシーンばっかし。何回やりゃ気がすむんじゃ。

『ミッション・トゥ・マーズ』
何でしょうこれは。

『大逆転』
『フィラデルフィア・エクスペリメント』
たまにこんなのも混じってる。『ファイナル・カウントダウン』が見たくなりました。

『日本以外全部沈没』
もとから何も期待してはいないけど、河崎実は80分以上の映画を撮るべきではないだろう。

『三年身籠る』
シーンが細切れで、各シーンが悉く定規で測ったように同じ撮り方。10分も見るといいかげんにしろよと言いたくなってしまうが、見るべきものが何もないことを確認するために最後まで見ました。

『バタフライ・エフェクト』
ずいぶん昔にこれとそっくりなアイデアのお話を夢想したことがある。ある意味シャマラン風。

『あの子を探して』
チャン・イーモウは『HERO』とかよりこういうほうがいい。「社会派」に見せかけた一種の幻想映画でしょう(ブニュエルの『忘れられた人々』がそうであるような意味において)。

『いちご白書』
この映画の知名度がこんなに高いのはきっと日本だけ。どうせなら同年のブルース・デイヴィソンのもう一つの主演作をやればよかったのに。ねずみ年のお正月なんだし。

『シッピング・ニュース』
アメリカのひなびた漁師町が出てくる映画が好きなんで期待したが、風景の撮り方がゴシックロマン風で期待したものと違った。ミステリー映画だったらそれでもいいんだけど。

『天国から来た男たち』
世界のミイケは単刀直入でいいね。たまになんじゃこりゃってのもあるが、これはすごく面白い。

『変身』
東野圭吾原作。主演二人(玉木宏、蒼井優)のシーンが、昔の宇宙企画のビデオを見ているようで困った。推理ものとしても恋愛ものとしても成立していない。いっそゲテモノサイコホラーにでもすればよかったのに。

『過去のない男』
いろんな賞を獲得したアキ・カウリスマキ監督作。音楽の趣味(アメリカン・オールディーズ)がやたらいいんだなこれ。「ホノルル午前二時〜」なんてのも流れるし。

なんだかケチつけてばっかみたいになってしまったが、例年にくらべても全般に低調だった感じ。
ミステリー、ホラー、アクションがほとんどなかったのも物足りなかった。セガールをやらないお正月なんて。

2008年01月12日

「こどもの詩」

 読売新聞で連載している「こどもの詩」、1月6日の回より。


  はがぬけたよ

  はがぬけたよ
  はがぬけてうれしい
  でもいたい
  ぬけたはで手をつっついてみた
  いたかったよ
  これが草しょくきょうりゅうの
  きずのいたみだとおもう



   恐れをしらぬ恐竜だって、生きてい
  たときは、歯がぬけたら、きっと痛か
  ったんだろうなあ。   (長田弘)


 ごらんのとおり、この詩のみどころは、抜けた自分の歯で自分の手を突いてみた体験から「(肉食恐竜に噛み砕かれる立場の)草しょくきょうりゅうのきずのいたみ」へと空想をふくらませる部分である。おそらく絵本か何かで生物の食物連鎖について知ったことが念頭にあったと思われる。にわか仕込みの知識をもとに、卑近な体験と壮大なテーマを空想でじかに繋げてしまうところが、いかにも子供らしくもあり科学的でもあるおかしさである。この場合、恐竜の歯が抜ける痛みのことはあんまり関係ない。そもそも書かれてもいない。
 厳密に読み解くなら、「歯が抜けることも痛いが歯に噛まれる側の動物だって痛い、どんな生物も何かしらみな痛みを有しているのだ」といった万物への哀れみが主題になっている作品といえなくもないから(といっても作者は小学一年だからそこまで主題を明確に意図していたとは考えにくいが、結果としてそうした主題の作品になっていると読むことはできる)、そこまで読んだうえでなら「恐竜だって〜歯がぬけたら、きっと痛かったんだろうなあ」とのコメントが出てきてもあながち的外れともいえぬが、この連載を毎回見ていると長田弘という人のコメントは子供の感性にたいし鈍感すぎるのが通例ゆえ、怪しいものである。
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