2011年09月20日

新刊ミステリ

倉阪鬼一郎さんから新刊をいただきました。
いつもありがとうございます。

五色沼黄緑館藍紫館多重殺人(講談社ノベルス)
五色沼黄緑館藍紫館多重殺人

 某県・五色沼のほど近くに唐草模様で彩られた黄緑館・
藍紫館という名の面妖な洋館が並んで佇んでいる。深い
霧と降りしきる雪の中、館のお披露目パーティーが開催
された。が、招待客はわずか4人。奇妙なムードの中
第一の殺人が!! 被害者は「怪物が・・・」と死の直前に
呟く。連鎖し起こる不可能殺人! 衝撃の真相が待つ!!
(裏表紙の内容紹介より)


 講談社ノベルスでおなじみ「バカミス」新作。
 今回も、これでもかこれでもかと最後の最後まで仕掛けが詰め込んであります。
 全ての謎に答があるのはもちろん、謎じゃないようなところまで解明されてしまって、謎より謎解きのほうが手数もページ数も多いじゃないかという、謎解きミステリーならぬ謎解かれすぎミステリー。
 いずれ文庫化してもらいたいものです。


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2011年06月04日

新刊ホラー

倉阪鬼一郎さんから新刊をいただきました。
いつもありがとうございます。

おそれ(角川ホラー文庫)
おそれ
三文字題名シリーズの第5弾です。
ちなみにこれまでの作品は以下の通り、いずれも角川ホラー文庫。
『うしろ』
『すきま』
『ひだり』
『さかさ』
『おそれ』

今回は聖域修復師・八神宇鏡と『うしろ』の主人公キム・イェニョンがタッグを組みます。
「旧き神」なんてのも出てきます。
ホラー(恐怖)のなかでも根源的な「おそれ」そのものがモチーフになっていますが、ここまできてしまったらこの先どうなるんでしょうか。



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2010年08月07日

NHKの番組

 録画しておいたNHK「ディープピープル」の漫才師の回(出演は水道橋博士、増田英彦、中川剛)を見たが、意外に面白くなかった。なんだか話のはずまない顔ぶれということもあろうが、それだけではあるまい。
 映画監督のインタビューは好きなのだが、そういえば作家へのインタビューはあんまり面白くない。映画製作の場合はカメラや照明やセットや俳優など、様々な要素がからんでシーンを創り上げるダイナミズムがあり、裏話や具体的エピソードにも事欠かない。
 作家や漫才師の場合、せいぜい一人か二人でおこなう取材や打ち合わせの作業があるだけで話に広がりがない。「どうやってアイデアが浮かぶんですか」といった馬鹿みたいな質問を投げかけられたところで、面白い話を返せるはずもない。具体的エピソードといっても、作家が使う資料だとかワープロソフトだとか、漫才のセンターマイクがどうだとか、どうもスケールがせせこましい。
 漫画家の場合も似たりよったりだが、これがアニメ映画監督だと面白くなる。浮かんだアイデアを具体的にどう実現するかという、その、専門技術をもつ者たちが問題を解決しながら共同作業で創り上げていく部分が面白いからである。
 やはり裏話をきくなら本や漫才のことより、映画がよいということがあらためてわかった。それも、出演者にきくより監督やスタッフのほうがよい。ただし聞き手が馬鹿だと誰を呼んでも駄目である。

 NHKといえばついでに、アンコール放送でさきほど最終話まで見た「ハゲタカ」はテンポがよくてなかなか面白かった。昨年末放映の「外事警察」はせっかく日本で珍しい本格的なスパイスリラーと期待したのに、弛緩した脚本と演出で期待はずれだった。NHK土曜ドラマはこの二つしか見ていないが、「ハゲタカ」のほうがずっとよい。台詞やシーンが劇画調でなんだか青年コミック誌を見ているようではあるが。

2010年07月20日

新刊ミステリ

遅くなって申し訳ありませんが、
倉阪鬼一郎さんから新刊をいただきました。
いつもありがとうございます。

薔薇の家、晩夏の夢 (創元クライム・クラブ)
薔薇の家、晩夏の夢

風が吹く初夏のこの丘に、
薔薇が咲き乱れていることを
ふもとの人々は知らない。
およそ百年前にある一族が
棲みついて以来、
丘に不穏な空気が漂い始め、
自然と皆避けるようになったからだ。
ただ、陰鬱な旋律の
不気味な童謡だけが、
その薔薇たちの存在を語る。
(帯の紹介より)


 読み始めてすぐにある外国の小説を思い出し、次に、それに似たある外国映画(というか、その小説のほうが似ているのだが)を思い出した。どちらも自分が中学生や高校生のころに初めて接したもので、何か懐かしいものにふれたような気がした。
 季節は夏が中心、ちょうど今ごろの夕暮れ時の浮世離れした雰囲気が似合う小説ではないかと思う。

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2010年06月30日

中休み

一次リーグの試合を見ていてパラグアイもチリも同じようにナイスチームだと思ったけど、その好調チリも手堅いドゥンガのブラジルにはまったく歯が立たなかった。おそろしい。日本の次期監督候補にビエルサ(現チリ監督)の名があがっている記事をちらっと見かけたけど・・・
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2010年06月13日

子供が読んだミステリー

 ルネ・クレールの『そして誰もいなくなった』を見て「名探偵が出てこないミステリー」の面白さに開眼したようなことを書いたが、実はそれ以前に出会って強烈な印象を受けた作品がある。
 学研の学習科学の増刊「読み物特集号」に載っていたもので、結末でずいぶん意表を突かれた外国作家の短篇があった。その「読み物特集号」はたしか姉が買っていたのが家にずっとあったやつだから、年齢が私より四つ上なら小学生時代にリアルタイムで読んだ人があるかもしれない。
 内容はアメリカの町で起きる煙草屋連続強盗事件の話で、意表を突かれたのは、それがいわば「叙述トリック」の作品だったからである。作中の人物にとっては特に意外なことは起きていないのだが、読者を騙す書き方がされていたことが最後にわかる仕組みで、そういうものに何の免疫もない(もちろん「叙述トリック」なんて言葉も知らない)子供が読んだのだから、騙されないほうがどうかしている。うわやられた何だこれは、である。
 ただ、そこで「名探偵が出てこないミステリー」の面白さに目ざめた、というふうにあまりならなかったのは、小学生のときからSFショートショートはけっこう読んでいて、ミステリー、推理小説、といった枠よりも「意外な結末の短篇」という意識でとらえていたからだろう。せいぜい、SFじゃなくてもこんなのがあるんだ、という程度の認識だったはずである。
 内容の記憶を頼りに大人になってから調べたところ、件の短篇はどうやらウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の作品だったようである(創元推理文庫『アイリッシュ短編集』に収録されているはず)。ただし当方の記憶と照らし合わせると、「読み物特集号」に載ったものには大胆な改変がなされていた。子供向けにしたというだけではなく、結末の意外性にも大きくかかわってくることで、同じ話をまったく別の方向から語り直したものだといってよい。誰がリライトしたのか知らないがえらく思い切ったことをしたものだ。

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2010年06月12日

『終りなき夜に生れつく』といえば

 何しろ最初に読んだクリスティーの長篇である。愛着がないわけがない。
 中学生のころテレビの深夜放映で「クリスティー原作」という以外には何の予備知識もなしに(したがって、これという期待感もなしに)モノクロ映画の『そして誰もいなくなった』を見て、あまりの面白さに本屋へすっとんでいき、「アガサ・クリスティーの長篇で名探偵が出てこないやつ」をさがして買ってきたのが『終りなき夜に生れつく』だった。すでにクイーンはちらほら読んでいたと思うし、ポワロやマープルといった探偵の存在も情報としては知っていたと思うが、名探偵が出てこないミステリーもこんなに面白いのだということを映画で具体的に教えられ、いてもたってもいられなくなったのである。家に着くのを待ちきれず、駅のホームで本を開いて読み始めたこともおぼえている。
 なかなか事件らしい事件が起きなくてもまったく苦にならなかったのは、ルネ・クレールがアメリカで撮った(というデータは後で知ったのだが)『そして誰もいなくなった』にすっかり舞い上がり、その余韻をたっぷりひきずったまま読んだからである。小説を読むというよりは映画を見るように、いちいち頭のなかでシーンを映像に置き換えながら、そして自分で思い浮かべた映像イメージを反芻し浸り込みつつ読み進めたので、ストーリーなどはほとんど二の次であり、終盤で明らかになる真相やトリックもそのときの自分にとってはおまけ程度の楽しみでしかなく、推理小説を読んだというより一本の映画を見終えたような満足感だけが残ったのであった。
 続いて、やはりポワロもマープルも出ない『ゼロ時間へ』を読んだのだったと思うが(もちろんこれも面白かった)、少し後にNHKで放映された英国製のTVドラマ『なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?』(これも名探偵が出てこない)もこちらのイメージを裏切らないもので、ストーリーも面白いが楽しんだのはやはり英国の風景がふんだんに出てくる映像イメージだった。
 しかし、ずいぶんあとになってよく考えてみると、クリスティーの小説自体にはさほど風景描写といえる文章は出てこないのである。あってもごく簡潔で、お世辞にも上手いといえるものではなく、前にも書いた気がするがフィルポッツや他の風景描写を得意とする英国の作家にくらべると屁みたいなもんである。
 にもかかわらず、映画の余韻にひきずられて読み始めた自分の場合だけでなく、クリスティー原作の数々の映画やTVドラマがまるで約束事のように強調するのが、風景イメージを前面に押し出した映像である。クリスティーの小説に書かれてもいない豊かな風景イメージを勝手に読んで楽しんでいた読者は、どうやら自分だけではなかったわけである。
 似たようなことがおそらくジェイン・オースティンの場合にも起きていて、オースティンの小説には純粋な風景描写がいっさい出てこないのだが(あるとしたら「あの人の地所にはこれこれの丘や森がある」といった事務的な説明文だけである。クリスティーの場合はともかく、オースティンは明確な意志をもって自分の小説から風景描写を排除したはずである。いわば、そんなものを「書かない」のが彼女にとって小説を「書く」ということだった)、映像化されたイメージではいかにも「英国風景」といったものが強調される。それこそ彼女が死んでも書こうとしなかったものだというのに。
『終りなき夜に生れつく』はいまちょっと読み返している暇がないが(サッカーの季節なもので)、たぶん読み返してみたら、ゴシックロマンスを基調にした作品だとはいえ、最初に自分が読んだときのような映像イメージに直結する描写はさほど出てこないのではないかと思う。いうなら、実際には書かれていないからこそ、ぽっかり開いた空隙に読者が手前勝手に思い描いたイメージを流入させるのだ。流入したイメージはほとんど既成事実化し、現実化し、映像によって具体化する。穿たれたイメージの真空にたちあらわれる「ヴェラ」(リラダン)のごとく。
 書かれてもいないものを読んでしまう読者は世界中にいる。たしかに書いてあった、と彼らは声を上げる。たしかに見たんだ、と主張する。

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2010年05月30日

やっぱり前半が面白い

『マトリックス』シリーズで面白いのは1作目の前半だけである。『ダークシティ』も圧倒的に面白いのは前半である。いずれも後半はおそろしく通俗的で古くさい展開にしぼんでしまう。例外は『A.I.』。これは逆で、人類が死滅した後の遥かな未来の地球を描く終盤のシークエンスが、お決まりの展開に終始するそこまでのお話にくらべて段違いに素晴らしい。
 こないだ放映された『アイ・アム・レジェンド』も、誰もいなくなったニューヨークでひとりぼっちのウィル・スミスが送る日常生活をつづった前半の描写が面白い。路上の好きな車に乗り放題、そこらのショップでDVDも借り放題、友達は犬だけ、街は自分が知っている街のままに、ただ誰にも遠慮がいらなくなった世界。夜は出歩けないが、それも何やら雨戸を閉め切った台風の晩のようでそう悪くない。
 それが懐かしいような気持ちがするのは、誰しも子供のころにそういう世界を多少なりとも夢想したせいか。孤独とひきかえに、誰にも監視されず誰にも構われない世界へ解放される空想は、あるいは透明人間願望(乱歩風にいえば隠れ蓑願望)にも通じるところであろう。あの無人と化したニューヨークは、乱歩にとっての押入れの中でもあったのだ。

2010年05月02日

羊歯ミード

デジカメの設定がよくわからなくてなんだかサイバーな画調に撮れてしまった羊歯
sida1.jpg

ほんとはこれが自然に近い色合い
sida2.jpg


せっかくだからもっとサイバーにしてみた
sida3.jpg
ミードというよりギーガーか

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2010年03月29日

訃報と重なる確率

「歌手・しばたはつみさん死去」のニュースに接した。
 昨日、たまたま『狂った野獣』という映画のことを思い出し、なんとなくグーグルで検索したところ監督の中島貞夫自身による解説というのがyoutubeにあるのを知り、それを視聴したついでに、横に出ている関連動画のなかに同じ渡瀬恒彦主演の『化石の荒野』予告編がならんでいたのでついでに視聴し、その流れでしばたはつみによる主題歌も聴いたところである。
 こういうのを虫の知らせ、ではなく、単なる偶然というのであろう。しばたはつみの「化石の荒野」は何ヶ月かおきぐらいにyoutubeで聴くから、関係者の訃報とたまさか時期が重なる確率がどの程度にせよ、そう不自然に低くはないはずである。
 この歌はもともとが映像イメージと結びついた楽曲だが、西村寿行の初期冒険小説にはまっていた十代の終わりごろによく聴いていた歌なので、個人的な記憶イメージと結びついた思い入れもある。






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